今日の東浩紀の授業。
部屋が暑いのはノートPCのせいだろうか。
ポストモダンと情報社会: 授業1
駅で財布を落としたら
おそらく東工大であろう人間が拾ってくれて
好感度アップ
カバンにものを整理して入れるのが苦手
ポストモダン(時代概念)と
ポストモダニズム(文化思潮)は
別のものとして考えた方がいい
というのは東の考え
1980s 日本型
ポストモダニズム
1990s- 流行の終焉、運動の権威化、運動としては終わった
『郵便論的存在的』はそのぎりぎりの段階で出版
■
ソーカル事件
人文科学は取り残されていく
疑似科学のようになる
科学
人間が何を発見しようが
大文字の真実(The Truth)が自然の中にある
K.Popper
科学とは
反証可能性
人文系の科学にはそれがない
でも遅れているというわけではなくて
人文系の科学は人間が人間について考える
例えば
最近いじめでどんどん人が死んでいる
身体的な暴力はTruthが存在する
精神的な暴力(例えば言葉の暴力)にはそれがない
定義や解釈によって真実の形がころころ変わる
ここが人文系と科学は決定的に違う
Wikipediaの
カルト教団のページは反保護中とか云々になっている
真実がないから泥沼の世界
Wikipediaに書かれたことが云々〜などとメタ解釈も始まっている
インターネットは理工系の学者が考え出したもの
上記のカルト云々はインターネットにおける真実のない世界
リビドーという概念は反証不可能でないか
精神分析のような学問はそういう反論を受ける
なんとなく数学とか使ってみる
それが
疑似科学性につながる
「Social Text」で
物理学の教授である
アラン・ソーカルがパロディー論文を書く
量子力学の
ジャーゴンを使いながら内容はまったくない
わりと大々的に扱う
いかに人文系の教授たちが科学をわかっていないか知らしめる
『知の欺瞞』
ねちねちと人文系の学者が科学をわかってないか書く
日本では
山形浩生が紹介
ポストという言い方は70sに流行る
ダニエル・ベルがそういう言葉を挙げまくる
ポストモダンが空白かつ未定義な言葉として差し出されていた
パラダイムチェンジの予感は間違っていない
■
ポストモダンという現象のキーワード
・社会現象の虚構化
・全体性の喪失
・秩序維持の質的変化
だいたいこの3つがポストモダニティというものの大きな特徴
■社会現象の虚構化
近代
自然科学的現実 自然をいかに征服するか
近代社会では自然科学的現実がすべてを規定していると考えられていた
この考えの1つの限界が環境問題
無限に征服できる対象とは考えられなくなった
もう1つは情報社会
IT系の技術は基本的に人間と人間のコミュニケーションを最適化
高速道路ができるわけではない
世界に対する支配力を高めるものではない
ここ30年くらい、人間関係的現実のほうに
進歩の舵をきっている
例えば車の最高速度は変わっていない
しかし通信速度は違う
人間関係的現実では
人それぞれの真実を相手にしないといけない
例えば男性性とか女性性
今では極めてやっかいな問題
マルクス
唯物論的弁証
唯物論的 Material 物質的
ソ連は自然科学的な国
でも終わった
現実感の変容
知
大文字の真実(心の外側の現実)に
ただ邁進するのが近代だったが
科学とそうでないものの境が曖昧になっていく
複数化
いじめがあったかなかったは解釈によって変わってしまう
このような事がすごく多くなっている
社会現象の虚構化というのは
ゲーム脳とかではなくて
こういうことを考えるといい
規律を埋め込むことはやめて環境管理
■全体性の喪失
リオタール『ポスト・モダンの条件』
「大きな物語」が凋落する
共訳不可能な
言語ゲームが乱立
文学部と工学部は関係なく
それぞれの〜学部の中で勝手にやる
学際的な研究etc…?
知の正当化過程の変化
国民国家システム
資本主義的競争
が後ろにあったので大文字の真実へ邁進するのが
学問のあり方がだと言われていた
ポストモダンにおいてはパフォーマンス
物語から遂行性へ
PDをやっていた
本しか買えない
予算の硬直性
ばらまき行政
研究費もらってるのだから
それに見合う結果を出せとみんな思う
けれども本当にそれは可能だろうか
人文系ではほとんど役に立たない
まだまだばらまき行政型だが
大きく変わっていく
どんな成果、パフォーマンスを出すか
村上陽一郎
古いタイプの人間
学問は真実に向かうのだから
結果によって金を出したり出さなかったりするのは間違っている
断片化、
サブカルチャー化、
島宇宙化
伝統とか道徳の弱体化
ギー・ドゥボール
『
スペクタクルの社会』1967
世界は見世物(スペクタクル)に覆われている
ジャン・ボードリヤール
『消費社会の神話と構造』1970
消費の自立性
フォードT型自動車しか自動車がなかった
消費者が選択権を持つためには自動車に
たくさん種類がなければならない
大衆 消費の主体
多品種少量生産が始まる
マルクスの用語
交換価値
使用価値
私たちは本当にこの2つによって物を買っているか
ジャケットを7万円で買ったが
似たようなものが紳士服のアオキで1万円以下で売っている
よくあること
ではなぜ7万円払っているか
記号的価値
というものがある
多くの人が7万円の価値があると思っているから
記号的価値は人間関係の中にしかない真実
株式市場のシステムと全く一緒
ケツ毛バーガー事件の時に
mixi株を買っておけばよかった
会社に株価ほどの価値があるわけがない
でもみんなが価値があると思っている
『象徴交換と死』1976
シミュラークル
語源はディックの小説から
P・K・ディック読め
とても面白い
すごく
ポストモダン系作家
先駆的
『
ブレードランナー』
レプリカント
オリジナルと区別がつかない
本当にコピーなんだろうか
西島大介の絵が家に飾ってある
オリジナルは
イラストレーターのデータ
それから印刷したものにサイン
シミュレーションそのものが現実に取り込まれる
株は上がるというシミュレーションがあれば株は上がる
America's Army
米軍が配布している
FPS
新作では
イラク戦争ゲーム
戦場に行くことに心理的な準備
国に関心 軍人
リクルート
実際の戦闘機でも
兵士たちは音楽を聴きながらモニタしか見ていない
ゲームと区別がつかない
逆にゲームの成績が良かったやつが米軍に入ったりする
日本の
ゲーム脳なんてどうでもいい
こちらの方が大きな問題
■規律訓練から環境管理へ
フーコー
『監獄の誕生』1975
近代的な主体とは自分を監視し監視させられる
オーウェル
『1984』
反共小説
Big Brotherにすべて監視させられている
落ちは
Big Brotherがいない
真ん中には誰もいないのに
みんなが
Big Brotherに見られていると思っている
コンピュータの助けが無ければ
国勢調査はできない
2、300年前では戸籍もなかったし
何処に誰が住んでいるのかわからない
ぼんやりとした社会
近代の国家は、本質的に
内部で何が起こっているか監視している
ドゥルーズ
『記号と事件』1990
15ページのエッセイ
フーコーはいい事言ってたけど
今の時代ではちょっと修正した方がいいよね、という文
discipline <-> control
近代社会とは人をある空間に閉じ込める社会
大学生はある1つの大学、
会社員はある1つの会社に所属する
ツリー構造 ピラミッド構造
1人の人間を囲い込む社会
ポストモダン社会では囲い込みが壊れている
大学では単位交換
社会人は転職を繰り返す
流動化した人間をコントロールするために資格
囲い込みの権力から
流動性の権力
規律訓練から環境管理へ