東浩紀「ポストモダンと情報社会」11/20

今日の東浩紀の授業

大体6回目くらい?
だれてきませんか?
僕はもうだれまくりです
はてなダイアリーにアップしてくれてる人が居るので助かります
終わって5分くらいでアップされてる
大体誰だかわかってるけど

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ある1つの時代の人間がその社会に対してどのようなイメージを持っているか 近代社会はピラミッド型の自己イメージを持っていた ポストモダンではそれが |○-○-○-○-| |______| こんな形になっている 社会自体がどうかという問題ではなく、 われわれが持っている自己イメージがツリー型とかそういう話 近代社会はThe 価値に向かっていく ポストモダンは価値中立的アーキテクチャが様々な価値をリスク管理 倫理的な正しさに影響を与える 冷静に考えてみれば若い男性というだけで社会にとってリスク 35歳妻子持ち 安全 25歳独身 危険 オウムを熱い熱すぎると思ったり 自分の人生を振り返っても20代の頃の方が危険だったと思う いじめ問題 主体が悪いのではなくいじめが起こる環境が悪いのではないかというふうに 私たちの感性が変わってしまった 環境を作る側のリスクが高すぎるようになって だんだんまわらなくなっていくのではないか 例えば お前能力ないよ大学院行かない方がいいよと教授に言われて3年間引きこもり アカハラではないか 大学の環境がよくないのではないか と、大学に対して裁判起こしたりする そんなことが続くと論文指導なんて出来なくなる 相手の能力を推し量るようなものだから
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インターネットにおける2つの理念 皆が安全に閉じた世界 mixi 知の共有 P2P 三洋電機社員の悲惨な事件 意外と忘れ去られてますよね あれは週刊誌レベルだとmixiの問題だとされているけれど 皆さんもご存知のようにShareでMy Documents以下が公開され 名前がすごく特徴的だったのでmixiで検索したらヒット 彼女や出身校も判明 どう見てもmixiの安全性の問題ではない mixi嫌いなのでどんどん株下がらないかなあと、というような危険思想は持ってませんよ 問題は、mixiとShare、Winnyが接触したこと mixiで情報流出してても問題にならない マイミクとかしか見ないし Winnyで流出しててもGoogleで検索できるわけではないし問題にならない ケツ毛バーガー事件では接触するきっかけが特徴的な名前だった 日本ではインターネットはいろんな村に分かれている 2chとか はともかく、 GoogleWeb2.0みたいな理念は オープンなものとプライベート、安心したコミュニケーションをつなげるもの |○-○-○-○-|プライベート、安心したコミュニケーション |______|オープンな知
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GLOCOMやめた理由は差しさわりがあるので言わない ised 情報社会の倫理と設計 この名称には英語としておかしくね?とかひと悶着があった ともかく Googlemixiの話とかいっぱいやってた そこで招いた、 北田暁大「つながりの社会性」<-> 秩序の社会性 普通のコミュニケーションは秩序の社会性 今のインターネットはつながりの社会性 「これから帰る」言わなくてもいいようなコミュニケーション 繋がりたいためだけのコミュニケーション こういったものがつながりの社会性 「嗤う日本の「ナショナリズム」」 2げtとかクマーとかは内容が全くない この現象はみんな繋がりたいんだよね、という話 匿名の人間がどんどん繋がっている 僕は2げtなんてやりませんよ 25だったらやってたかも やんねえかな 自分が誰かを気にせず繋がりたいからやっている mixiの繋がりは目に見える繋がり 名前が明らかになっているコミュニケーション 匿名<->顕名 P2Pは繋がってるという感じがするのかな HDDの点滅が美しいとかいう人がいるようだけど マンションの光ファイバーの帯域9割りくらいそいつが使ってるみたいな 最近はYouTube SNSの発展ヴァージョン 日本では単なるテレビのタイムシェアリングのシステム でっかいHDレコーダーみたいなものだと思われているけど 本当はSNS コメント付けたりこの人は他にどんなの見てるのかとか 攻殻機動隊のテレビシリーズ SAC 2ndは押井さんが関わってるようであんまりよくない 押井さんはもう心の中にしかいない SAC は結構良い グリコ森永 + 2ch みたいな話 劇場型犯罪をネットワークの集合意識がやっていたみたいな話 東浩紀の本を読んでいるような 東大の院生だったか卒業してすぐだったかにこの脚本書いた 櫻井圭記さんが中核 僕が褒めるのも当然のような感じでやだなとは思うけれども
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ポストモダンの人間というと、 浅田彰の時代だと… ・分裂的 ・複数アイデンティティ 国境を跨いで生きる トランスジェンダー みたいなのがイメージされていた 近代社会だと ある種の規律があってそれに従って成長して ある種の安定をして社会の役に立って死んでいく 東浩紀的に、ポストモダンの人間とは… ・二層構造で生きる人間 ・アーキテクチャに活かされる人間 ・主体の解体/解離的人間
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・二層構造で生きる人間 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』1989 マルクス主義を信じるけれども特に他の人に強制するわけではないという態度 しかしマルクス主義は大きな物語、世界観、社会はこうなるという思想だから矛盾 こういうことがirony これが絶対的真実だと思ったとしても、 今の世の中だと絶対的真実が常に相対化されてしまう 伝えるのが難しいということはない 人間が馬鹿になっているわけではないから伝えることはできる しかし多くの人が相対化する技術を持っている 公的な価値観と私的な価値観を切り離さないといけない 安部首相 政治心情的には非常に右翼 首相になってまったく違うように振舞っている 公的な価値観と私的な価値観の分割ができている 小泉さんよりも遥かにアジア重視 普通に考えたら一貫していない この手の話は考えると難しい リベラリズム 自由主義 というものがある 元々自由主義とはマーケットにすべて任せればうまくいく、といったもの ミル 19世紀 自由主義者たちが政府に市場への介入を訴える 古典的自由主義 弱肉強食 リベラリズム 弱者の面倒見る 難しい言葉 ある価値はプライベートにしか表現できない それを超えることは良くない どうやって社会全体を考えたらいいのだろう 多文化主義 ある価値観の中に居る人はそれぞれでまとまっている ここで問題なのが人権 イスラム圏 女性が1人で外に出ちゃいけないとか 多文化主義 介入しなくていいんじゃないか リベラリズム 相手を慮りつつちょっとずつ介入しないとまずいんじゃないか 対話可能性を保持しつつ…とか厄介な議論 倫理の問題ではなく論理ゲーム 北田『責任と正義』 ある種2重基準 徹底的な無関心を呼び起こす 他者ののコミュニケーションの際に非常に複雑なロジックが必要になる ローティはプラグマティス実用主義 ローティは「感情」ということを言い出す リベラリストは精緻な議論をやるけれど そういうメタ主体の論理ゲームではなくて ローティはもっとぺたっとした議論をする 身体感覚 私たちは身体を持っている 目の前で割礼されている女の子がいたらこれはまずい!と思うだろう こういった感情に依拠する ローティの批判されている点でもある Rawls「正義論」1971 90年代に「万民の法」9.11以前の本 西洋的価値観、リベラルな国家ではないけれども ある種尊厳を持った国がある、とする
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アーキテクチャに活かされる人間 近代社会で犯罪が起こったらその人が悪い ポストモダンでは… トラウマがあって、とか 環境に責任 人間工学がこういう発想を推し進めた 動物化とも関係している ハーバート・サイモン『システムの科学』1969/1996(第3版) 思想書とかではない パーソナルメディアから出ている 著者は経済学と人工知能で有名 チューリング賞 ノーベル経済学賞 世界があって、人間というものは世界をがりがり征服していく のが近代の世界観だったけれども いやいや人間はそんなに頭が良くない 人間は限定合理性しかない 人工物を作って、人工物と人間が、人工物と世界がそれぞれインタラクションをする 人工物を間に挟むことによって人間は始めて世界を管理できる 人工物の科学が重要 人工物がすなわちアーキテクチャ 学生がいてクラスがあって学校がある 本当は500人が複雑に動いていても 全部捨象して学校という単位を持ち込む 単純化 インターネットのウェブサイトを作るのに OSのようなバックグラウンドを理解する必要はない 表面の層、自分がインターフェースとして直面している層だけ理解すればいい Amazon 検索エンジン リコメンデーション によって本が探せる 裏返せば、人間は10冊しか見せないということなので 権力とか環境管理が入り込む余地がある 世界が複雑だからこのような仕組みが必要 ITによって世界の複雑さが増した 情報技術が進化したことによって 複雑な世界が表面に出てくるようになった これまでは何十万冊本があっても見えなかった これらが全部見えるようになってくると環境管理が必要 こういったことを、 アーキテクチャを管理するだれかの陰謀だと言うことは容易い しかし、私たちの認識能力を情報技術は追い抜いているため 環境管理に頼らざるを得ない