ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2

丁寧で慎重で迫力に欠けた本です。文章はつまらないけど読みやすい。『動物化するポストモダン』とは随分と印象の違う本です。

内容は、前半は主に大塚英志の『キャラクター小説の作り方』への反論で、後半はメタフィクショナルなライトノベルやノベルゲームの批評です。

前半は、納得はいくけれど、あまり面白く読むことはできませんでした。「どういうことだろうか」と読者に語りかける文に端的に表されているように、非常に丁寧に、石橋を叩いて渡るかのように議論を進めていきます。Amazonの「著者からのコメント」の、「最初から最後までを体系的に構成し、その意図がなんとか実現できた本」「僕のいままでの本のなかで、もっとも読みやすく、また論理的な著作になっている」という言葉からもそれは匂わされます。東浩紀はもっとダイナミックで危なっかしくて、そして面白い評論を書いてくれるのだと思っていました。「どういうことだろうか」ではなくて「どういうことか」、パフォーマティ「ヴ」、コンスタティ「ヴ」とか書いていたような昔の文章が懐かしいです。そこには確かに評論を読む快楽がありました。論理的であることに問題はないのだろうけど…何が違うのかなあ。

一方、後者の作品批評は結構面白く、取り上げられているライトノベルを読んだりノベルゲームをやりたくなったりしました。しかし、メタフィクション的ではない作品すらもメタフィクション的に読み解くこと(それが環境分析的な読解?)が普遍的な批評態度になるとはどうしても思えません。メタフィクションおよび環境分析的な読解を「ポストモダンの文学」だと称揚すること、それにすんなり納得できるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。現段階では、環境分析的な読解は誰にでもできる読解ではなく(この本は東浩紀の才能によって支えられているけれど…)、また一部の人にしか面白さが伝わらない読解に過ぎず(みんな単純に萌えているだけ)、結局、もはや死んでいる文学や批評の残滓でしかありません。それが果たして物語を語る根拠になり得るのでしょうか。

この本は、対象をメタフィクションに絞った、良質な評論集です。派手な色とゴシック体の添えられた講談社現代新書に相応しい、ポップな評論集です。