東浩紀「ポストモダンと情報社会」2007年度初回(10/5)

今年も頑張って東浩紀の授業に粘着します。2年目だから、なるべくしょうもない雑談めいたことをメモしたいのだけれど、それではうまく講義録がまとまらなくなってしまって、具体的には話の流れが読めなくなってしまって、難しい。

今年から文系単位にカウントされなくなってしまったため、人数がだいぶ減りました。モグリも減っているような…。

# 例によって若干遅れて登場

こんにちは
僕がこの授業を担当する東です
pptあるけどMacなので出力できない

金曜日は休みが多くて今年は11回かと思ったけれど
振り替えが3回もある

講義概要そのものは去年と同じ
去年の講義録と6割くらい同じになる

成績評価はレポート
電子メールによる提出
去年は小説形式でレポートを出した奴がいたけど面白かったのでAを付けた
人文系は自由
Wikipediaからのカットアンドペーストは去年は通したけど今年は落とすかも
ぐぐればすぐわかるので自殺行為
先生のネットリテラシーが低い場合しか通用しない
海外の論文から取ってくるくらいに創意工夫しないと

携帯電話でのレポート投稿はやめろ
改行もなにもないし

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去年以降本を何冊か出したので 内容がちょっとだけアップデートされている 『情報環境論集』 講談社BOXから出ている # SHARPアクオス # うちもアクオス # 小学校の黒板にアクオスを売り込もうとしている # いつかこの黒板もそうなるのでは 1.情報自由論も収められている これは2002年から2003年にかけて中央公論に載せた 情報技術の発展と自由についてまとめた 2.サイバースペースは何故そう呼ばれるか 1997-2000年 古いけど今読んでも意外と良いのではないか 人々はインターネットをスペースのメタファーで語る セカンドライフもそう # 大変空しいセカンドライフの話をする 新しい空間、フロンティア こういうメタファーが持つ政治的イデオロギーについて 3.用語集 2006年 # 黒板がストレスになりそうな # こいつとは戦わないといけない
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この授業 ポストモダンと情報社会というタイトルどおりのことをやる たとえばmixi 今はTwitterのほうがわかりやすい あまり意味がないメッセージがただやりとりされている インターネットには有意味でちゃんと主張を持った人がブログに書く人もいるが 意味がないメッセージが莫大 こういったサーヴィスをどのように捉えるか つながりの社会性 北田暁大 かつてコミュニケーションは何かについて語らなければならないという規範があったが 今は語ることそのものに意味がある 挨拶、おはようと言うことが重要なメッセージ もともとあったけれどポストモダンの社会になると語るという事実が重要になる 技術的産業論的な話もあるけれど 裏側から補強するためにポストモダンの言説も有効 # 去年とは違って基本的な話はすっとばそうという気もある # 必修じゃないし ポストモダンとは何なのか 近代の後に来るもの 近代は特殊 今みんなは机に座ってまっすぐ前を向いているけれど かつて壇上に語っている教師を向いているようなことは特殊な人しかできなかった 今はみんなできる これは近代社会が作りだした 軍隊の行進など、近代社会につくられて、僕たちが前提にしているものはたくさんある これらのものは2,3世紀しか歴史がない 1970年代からこれらが壊れていく ■政治の変化 かつては社会をきちんと設計して前向きに進んでいくという思想があった 共産主義の権威が急速に失墜というか失敗 1968年 パリ5月革命 アメリカなどで近代社会が抱え込んでいた差別が暴かれていく 社会全体として近代社会の限界が露呈していく ■産業の限界 環境問題が注目され始める 『成長の限界』 成長に限界はある 1950年代は誰もそんなことを考えていなかった どんどん鉄とか作っていればどんどんよくなると思われていた 当時の成長のイメージは今の僕たちとは違っている 1950年代に発行された印刷物を読むとすごく単純なリニアな成長モデルが見られる 楽観的な見通しがあった 近代社会はその上に成り立っているところもあった ■消費、サブカルチャーの変化 消費社会も100年も歴史がない 服装は毎年変わるものだと思っている 車も買い換える 今はこれが普通 もともとはそうではなかった 昔は何十年も同じ服を着ても何も疑問に思っていなかった 大衆消費社会が出てきたのは戦後のアメリカ アメリカの消費社会が近代社会を内部から食い破っていく オタクは成長の拒否をやっている ある種のモラトリアムの中にとどまる どうしてこのような生き方が可能になったのか 普通は大人になったら小説映画を見ないで社会、国のことを考える なんで一生アニメを見て暮らせるのか これまでの近代人の行き方とはまったく違う 2000年代になってもどんどん加速していく さまざまな多様な生き方が肯定されていく インターネット、グローバル化、世界中の文化的な産物がぐるぐる回ってますます加速 このように 70年代から政治、産業構造、人の生き方が変わっていく
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1950から1970年 日本では「フランス現代思想」が一番しっくりくる言い方 アメリカでは「Theory」これも変な言い方 フランスのパリを中心とした一種の知的な動き いろいろな人たちがいた レヴィストロース ジャックラカン アルチュセール フーコー、ドゥル−ズ、デリダガタリ、リオタール いろんな仕事をパリ、フランス語でした この別名がポストモダニズム なぜ別名かというと 彼ら自身は一度もポストモダニズムという言葉を使っていない 彼らは哲学でも文学理論でもなく ごちゃごちゃとしたかろうじて人文系理論といえる 近代的人間・社会観の刷新 フランス人がよく使う人間 l'homme この言葉は男であると同時に人間 近代的な人間観、同時に男のことしか考えていない manについて考えるのはwomanを排除しているとか このポストモダニズムの運動は 社会全体の変化と連動している 簡単に言うと 1970年代に社会が大きく変わって 同時期にフランスあたりで近代的な考え方を刷新する大きな知的な運動 社会の変化をポストモダン化という 近代を壊すのでポストモダンという 僕はジャック・デリダで博士論文を書いたが そのころから常々思っていたが 1970年代はネットワーク・コンピュータ環境が生まれた時代 パーソナルコンピュータ、BBS アップル、マイクロソフトの設立 70年代は非常に重要な時期 近代的な社会構造の終焉、解体と 情報環境の誕生はほとんど同じ これは重要な意味があるのではないか 近代社会の解体 社会のインフラのなかに情報技術が入っていく これは表裏、共同に進行 これはどういうことかというと ふつう、技術が社会を変える気がする これは短期的な考え方 技術は単に生まれてくるわけではない 技術は技術者が作り出す 技術者の欲望は社会が作り出す これは見えにくい欲望 循環してて単独で語れるものではない 佐藤俊樹ノイマンの夢・近代の欲望』 未来工学研究所がデルフォイ法で科学技術予測を出している 専門分野の人たちにアンケートをしてそのバランスを取る 1970年代にもやっているが、パソコンの概念すらない エキスパートシステム人工知能の話しかないが それらの予測も大外れしている 各家庭のスタンドアローンで成立するパソコンの概念がなく 設問がそもそも設定されていない 1960、70年では各家庭にコンピュータが入っていると予想している人は ほとんどいない 端末として機能しているのがほとんど パソコンがあればウイルスがつくれる そんな危険なものが各家庭にあるなんて想像もしない 大抵の人が考えていたのはメインフレームがどんどん大きくなって 人類を支配するマザーコンピュータ 都市の交通から環境まで制御する やはり社会との関係を考えなければならない 僕の個人的な見解は パソコンには60年代のヒッピー文化、カウンターカルチャーが入っている スティーブン・レヴィ『ハッカーズ』 1983か84年にハッカーの歴史が書かれた非常に良い本 ハッカーの概念の成立にいろいろなものが入っている ここには2つのハッカーが出てきて東海岸と西海岸のハッカー 簡単に言うとメインフレームハッカーとパソコンのハッカー 大学のコンピュータをいじるハッカーと ガレージでパソコンもどきを作って楽しむハッカー 文化的背景によって分かれている 社会が技術者の欲望を規定している 技術的に可能だからといって欲望がないと実現するとは限らない 日本は二足歩行ロボットが無意味に盛ん 当然、鉄腕アトムドラえもんガンダム とにかくロボットは歩くという先入観をばらまいて それで頭をやられてしまった人が作っている 瀬名秀明さんというロボット学者と親しいサイエンスライター・小説家 瀬名さんとは午前4時まで飲んで仲良くなった 21世紀の真ん中くらいにロボット技術がどうなってるかと聞いた それは非常に難しい 10年とか20年だったら技術が社会をどう変えるかという問題だから簡単 50年だと社会のフィードバックがあるのでわからない 人が技術に反応しどう評価するかによる 社会とのインタラクションによって反応する 社会を見ないと技術の未来もわからない ゲームの話でいうとFPS バイオハザードみたいなものか アメリカではすごく発達している 日本で何故FPSが流行らないか 技術的にできるし面白くないわけでもない 文化的な問題 技術的な話とは別に文化・社会が影響する そういうことを考えるうえでもポストモダニティは重要ではないか これから14回延々とこんな話を続ける 1回くらい休講にしてもいいかな mixiみたいなサーヴィスが何故流行るか つながりの社会性みたいなキーワードがあるとある程度わかる 社会学者は昔から言っていた 内容がないコミュニケーションが一番求められている どうしたら内容がないコミュニケーションが簡単にできるか ポストモダンの社会では必然的にでてくる欲望 mixiは出るべくして出た 誰もが考えていた 今やTwitter 個人的にはこういうのマジで嫌いなんだけど みんなねちねちやりたいのか 監視しているのが嫌だ
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1回目は今日、ガイダンス 2-4回目 ポストモダン概論 有名人たちの話 知っておくと威張れるかも 5-7回目 情報自由論に沿った話 規律訓練、環境管理を中心にやっていく 8-10回目 「サイバースペースは〜」に基づく話 哲学っぽい話 情報時代の人間観、社会観 動物化するポストモダン1、2の話もする 後は結論部分 これから情報社会を捉えていく上でどうすればいいのか 北田さんと思想誌を作るが 1/22(火)に創刊シンポジウムを東工大でやる 出席者は萱野さんと中島さん、白井さん 僕と北田さんが司会 授業の内容とリンクしそうだったら授業の出席をこっちに振り替えるかも 出席点はないけど