今年も頑張って東浩紀の授業に粘着します。2年目だから、なるべくしょうもない雑談めいたことをメモしたいのだけれど、それではうまく講義録がまとまらなくなってしまって、具体的には話の流れが読めなくなってしまって、難しい。
今年から文系単位にカウントされなくなってしまったため、人数がだいぶ減りました。モグリも減っているような…。
# 例によって若干遅れて登場
こんにちは
僕がこの授業を担当する東です
pptあるけどMacなので出力できない
金曜日は休みが多くて今年は11回かと思ったけれど
振り替えが3回もある
講義概要そのものは去年と同じ
去年の講義録と6割くらい同じになる
成績評価はレポート
電子メールによる提出
去年は小説形式でレポートを出した奴がいたけど面白かったのでAを付けた
人文系は自由
Wikipediaからのカットアンドペーストは去年は通したけど今年は落とすかも
ぐぐればすぐわかるので自殺行為
先生のネットリテラシーが低い場合しか通用しない
海外の論文から取ってくるくらいに創意工夫しないと
携帯電話でのレポート投稿はやめろ
改行もなにもないし
去年以降本を何冊か出したので
内容がちょっとだけアップデートされている
『情報環境論集』
講談社BOXから出ている
#
SHARPの
アクオス
# うちも
アクオス
# 小学校の黒板に
アクオスを売り込もうとしている
# いつかこの黒板もそうなるのでは
1.情報自由論も収められている
これは2002年から2003年にかけて
中央公論に載せた
情報技術の発展と自由についてまとめた
2.
サイバースペースは何故そう呼ばれるか
1997-2000年
古いけど今読んでも意外と良いのではないか
人々はインターネットをスペースのメタファーで語る
セカンドライフもそう
# 大変空しい
セカンドライフの話をする
新しい空間、フロンティア
こういうメタファーが持つ政治的
イデオロギーについて
3.用語集
2006年
# 黒板がストレスになりそうな
# こいつとは戦わないといけない
この授業
ポストモダンと情報社会というタイトルどおりのことをやる
たとえば
mixi
今は
Twitterのほうがわかりやすい
あまり意味がないメッセージがただやりとりされている
インターネットには
有意味でちゃんと主張を持った人がブログに書く人もいるが
意味がないメッセージが莫大
こういったサーヴィスをどのように捉えるか
つながりの社会性
北田暁大
かつてコミュニケーションは何かについて語らなければならないという規範があったが
今は語ることそのものに意味がある
挨拶、おはようと言うことが重要なメッセージ
もともとあったけれど
ポストモダンの社会になると語るという事実が重要になる
技術的産業論的な話もあるけれど
裏側から補強するために
ポストモダンの言説も有効
# 去年とは違って基本的な話はすっとばそうという気もある
# 必修じゃないし
ポストモダンとは何なのか
近代の後に来るもの
近代は特殊
今みんなは机に座ってまっすぐ前を向いているけれど
かつて壇上に語っている教師を向いているようなことは特殊な人しかできなかった
今はみんなできる
これは近代社会が作りだした
軍隊の行進など、近代社会につくられて、僕たちが前提にしているものはたくさんある
これらのものは2,3世紀しか歴史がない
1970年代からこれらが壊れていく
■政治の変化
かつては社会をきちんと設計して前向きに進んでいくという思想があった
共産主義の権威が急速に失墜というか失敗
1968年 パリ5月革命
アメリカなどで近代社会が抱え込んでいた差別が暴かれていく
社会全体として近代社会の限界が露呈していく
■産業の限界
環境問題が注目され始める
『成長の限界』
成長に限界はある
1950年代は誰もそんなことを考えていなかった
どんどん鉄とか作っていればどんどんよくなると思われていた
当時の成長のイメージは今の僕たちとは違っている
1950年代に発行された印刷物を読むとすごく単純なリニアな成長モデルが見られる
楽観的な見通しがあった
近代社会はその上に成り立っているところもあった
■消費、
サブカルチャーの変化
消費社会も100年も歴史がない
服装は毎年変わるものだと思っている
車も買い換える
今はこれが普通
もともとはそうではなかった
昔は何十年も同じ服を着ても何も疑問に思っていなかった
大衆消費社会が出てきたのは戦後のアメリカ
アメリカの消費社会が近代社会を内部から食い破っていく
オタクは成長の拒否をやっている
ある種のモラトリアムの中にとどまる
どうしてこのような生き方が可能になったのか
普通は大人になったら小説映画を見ないで社会、国のことを考える
なんで一生アニメを見て暮らせるのか
これまでの近代人の行き方とはまったく違う
2000年代になってもどんどん加速していく
さまざまな多様な生き方が肯定されていく
インターネット、
グローバル化、世界中の文化的な産物がぐるぐる回ってますます加速
このように
70年代から政治、産業構造、人の生き方が変わっていく
1950から1970年
日本では「フランス
現代思想」が一番しっくりくる言い方
アメリカでは「Theory」これも変な言い方
フランスのパリを中心とした一種の知的な動き
いろいろな人たちがいた
レヴィストロース
ジャック
ラカン
アルチュセール
フーコー、ドゥル−ズ、
デリダ、
ガタリ、リオタール
いろんな仕事をパリ、フランス語でした
この別名が
ポストモダニズム
なぜ別名かというと
彼ら自身は一度も
ポストモダニズムという言葉を使っていない
彼らは哲学でも文学理論でもなく
ごちゃごちゃとしたかろうじて人文系理論といえる
近代的人間・社会観の刷新
フランス人がよく使う人間 l'homme
この言葉は男であると同時に人間
近代的な人間観、同時に男のことしか考えていない
manについて考えるのはwomanを排除しているとか
この
ポストモダニズムの運動は
社会全体の変化と連動している
簡単に言うと
1970年代に社会が大きく変わって
同時期にフランスあたりで近代的な考え方を刷新する大きな知的な運動
社会の変化を
ポストモダン化という
近代を壊すので
ポストモダンという
僕は
ジャック・デリダで博士論文を書いたが
そのころから常々思っていたが
1970年代はネットワーク・コンピュータ環境が生まれた時代
パーソナルコンピュータ、BBS
アップル、
マイクロソフトの設立
70年代は非常に重要な時期
近代的な社会構造の終焉、解体と
情報環境の誕生はほとんど同じ
これは重要な意味があるのではないか
近代社会の解体
社会のインフラのなかに情報技術が入っていく
これは表裏、共同に進行
これはどういうことかというと
ふつう、技術が社会を変える気がする
これは短期的な考え方
技術は単に生まれてくるわけではない
技術は技術者が作り出す
技術者の欲望は社会が作り出す
これは見えにくい欲望
循環してて単独で語れるものではない
佐藤俊樹『
ノイマンの夢・近代の欲望』
未来工学研究所が
デルフォイ法で科学技術予測を出している
専門分野の人たちにアンケートをしてそのバランスを取る
1970年代にもやっているが、パソコンの概念すらない
エキスパートシステムや
人工知能の話しかないが
それらの予測も大外れしている
各家庭の
スタンドアローンで成立するパソコンの概念がなく
設問がそもそも設定されていない
1960、70年では各家庭にコンピュータが入っていると予想している人は
ほとんどいない
端末として機能しているのがほとんど
パソコンがあればウイルスがつくれる
そんな危険なものが各家庭にあるなんて想像もしない
大抵の人が考えていたのは
メインフレームがどんどん大きくなって
人類を支配するマザーコンピュータ
都市の交通から環境まで制御する
やはり社会との関係を考えなければならない
僕の個人的な見解は
パソコンには60年代のヒッピー文化、
カウンターカルチャーが入っている
スティーブン・レヴィ『
ハッカーズ』
1983か84年に
ハッカーの歴史が書かれた非常に良い本
ハッカーの概念の成立にいろいろなものが入っている
ここには2つの
ハッカーが出てきて
東海岸と西海岸の
ハッカー
簡単に言うと
メインフレームの
ハッカーとパソコンの
ハッカー
大学のコンピュータをいじる
ハッカーと
ガレージでパソコンもどきを作って楽しむ
ハッカー
文化的背景によって分かれている
社会が技術者の欲望を規定している
技術的に可能だからといって欲望がないと実現するとは限らない
日本は二足歩行ロボットが無意味に盛ん
当然、
鉄腕アトム、
ドラえもん、
ガンダム
とにかくロボットは歩くという先入観をばらまいて
それで頭をやられてしまった人が作っている
瀬名秀明さんというロボット学者と親しい
サイエンスライター・小説家
瀬名さんとは午前4時まで飲んで仲良くなった
21世紀の真ん中くらいにロボット技術がどうなってるかと聞いた
それは非常に難しい
10年とか20年だったら技術が社会をどう変えるかという問題だから簡単
50年だと社会のフィードバックがあるのでわからない
人が技術に反応しどう評価するかによる
社会とのインタラクションによって反応する
社会を見ないと技術の未来もわからない
ゲームの話でいうと
FPS
バイオハザードみたいなものか
アメリカではすごく発達している
日本で何故
FPSが流行らないか
技術的にできるし面白くないわけでもない
文化的な問題
技術的な話とは別に文化・社会が影響する
そういうことを考えるうえでもポストモダニティは重要ではないか
これから14回延々とこんな話を続ける
1回くらい休講にしてもいいかな
mixiみたいなサーヴィスが何故流行るか
つながりの社会性みたいなキーワードがあるとある程度わかる
社会学者は昔から言っていた
内容がないコミュニケーションが一番求められている
どうしたら内容がないコミュニケーションが簡単にできるか
ポストモダンの社会では必然的にでてくる欲望
mixiは出るべくして出た
誰もが考えていた 今や
Twitter
個人的にはこういうのマジで嫌いなんだけど
みんなねちねちやりたいのか
監視しているのが嫌だ
1回目は今日、ガイダンス
2-4回目
ポストモダン概論 有名人たちの話 知っておくと威張れるかも
5-7回目 情報自由論に沿った話 規律訓練、環境管理を中心にやっていく
8-10回目 「
サイバースペースは〜」に基づく話 哲学っぽい話 情報時代の人間観、社会観
動物化するポストモダン1、2の話もする
後は結論部分 これから情報社会を捉えていく上でどうすればいいのか
北田さんと思想誌を作るが
1/22(火)に創刊シンポジウムを
東工大でやる
出席者は萱野さんと中島さん、白井さん
僕と北田さんが司会
授業の内容とリンクしそうだったら授業の出席をこっちに振り替えるかも
出席点はないけど