田名 立川

ボランティアとして昭和記念公園で車椅子を押しました。ボランティア活動は自分になにをもたらすのでしょうか。

まず、地域性の欠如した日常の補完です。大学は都内だし、おそらく就職先もこの市内ではないでしょう。起業した会社の本店所在地ももちろん都内。地元には寝に帰っているだけです。しかしボランティア活動によって地元民と関わりと持つことができるのです。

またボランティアは、不透明な現代社会において、数少ない自明な善い行いです。何が善い行動で何が悪い行動なのか。これは非常に難しい問題です。宗教にコミットしたり、強靭な精神世界を作り上げれば、そのドグマに基づいて善悪の判断ができ、そのうえで善いとされる行いをしていれば精神は安定します。しかし、そうではない普通の人間にとって、これは間違いない!と思える確かな善い行いは、被災地への募金活動といったわかりやすいボランティア活動に限られてしまいがちです。したがってこれらの行動は、宗教にはコミットできないけれど確かな善い行いをして胸を張って生きてゆきたいと考えている人々にとって、宗教活動に似た意味を持ち得ます。というのはまた別の話。自分はひねくれているから、ボランティアが自明に善い行いだとは思っていないけれど、それでも客観的に見れば善い行いなわけで、客観的な善い行いによる精神の安定を実感しようというわけです。

ソフトウェアで商売をしようとしている車椅子の方が居たので、当然のように名刺を渡しました。