東浩紀「ポストモダンと情報社会」2007年度第7回(11/22)

# ほぼ定刻

皆さん元気ですか
僕はまだごほごほ言っててもう嫌な感じです
ほんとに
咳が止まらない

授業やるわけですけど
例によって雑談的な話をすると# 今後も健全に授業の粘着をするために略

ストレスが溜まっていたので喋ってみました

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情報自由論の話 目次はこんな感じ あんまり説明はしません 気になったら読んでください 無料でテキストでダウンロードできるので 買ってくれると嬉しいけど とりあえずこの1、2回で匿名性の話をする 前にも言ったとおり、 ポストモダン社会というのはこういう構造になっている アーキテクチャがあってコミュニティがあって二層構造 現代社会では自由と管理は共存している 監視のネットワークは社会生活のインフラそのもの これで問題ないのだろうか 資格に応じて自由を与える社会は本当に自由な社会なのか # 最近の僕は結局それが自由なんじゃないの、って感じになってきてるけれど とにかく 自由には2つの考え方があって、 ・リバタリアニズムの自由  ノージックアナーキー・国家・ユートピア』  所有権に基づく  すごいお金持ちの人間がどれだけ非倫理的で  貧しい人間が死んでいてもどうしようもない  人間はそういうものだ ・リベラリズムの自由  正義に近い  もっと別の価値観との兼ね合いで自由を考えて行く  北田暁大『責任と正義』  立岩真也大澤真幸井上達夫、ローティ  そんな人たちの本を読むとわかってくる  多様性、混交性、寛容さ 僕は基本的に後者が好き 社会に貢献しないような連中を如何に抱えて行くか メンタリティ的にはひかれる しかし、寛容であれ、というと倫理学に近い 僕は昔から倫理はあまり好きじゃない 問題発言なような気がするけど デリダやってたのに倫理好きじゃないって自殺行為みたいな気がするけど 人は論理に従う 倫理は違う 倫理と道徳を分けたりするけど 倫理って言うのはどうしてもある共同体の範囲でしか通用しない だから倫理には疑ってかかってしまう 倫理が出てくると、それじゃ支えられないだろうと思ってしまう だから所有権とかの単純な理論にひかれてしまう ネットとかユビキタス社会はリバタリアニズムの自由を強化する アメリカは入国者の指紋を10本取るようになった 昔だったら大騒ぎだったけどちょっと報道されて終わってしまった リベラリズムの自由は曖昧 多様性とか他社への開放性をITによって実現しようとしたら 資格を割り当てるしかない 技術的な実装可能なものは結局リバタリアニズムの自由に近づいていく リベラリズムの自由はどうなってしまうのか
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自由を考え続けるだけでは行き詰まりそうだから 匿名性について考えてみよう anonymity anonymous これまで哲学的に考えられてきたことがない それを象徴しているのは、匿名という言葉の反対の言葉がないということ 実名は違う 仮名の逆の概念 有名というのもあるけど、有名の逆は無名になってしまう 匿名の逆の概念はない 僕は顕名という言葉を考えた 顕名とは名前を明らかにすること HNでもなんでもいい 僕が使い出す前にも一部で特殊な使われ方はされてはいたけど 英語ではどうか onymity あるにはある言葉だけど死語に近い 英語でも匿名の逆概念はない 僕たちの社会はこれまで、名前が明らかかそうでないか、考えたことがなかった 街を歩いても買い物をしても匿名 テレビを見ているときも匿名 普通は匿名 名前を明らかにするのはきわめて特殊な行為 なんでこんなことを考えるようになったのか suicaは個人情報の入っているカード 僕のプロフィールと結び付けられて乗車情報が入っている 昔は基本的に匿名だった ネットの出現によって基本的に顕名になった ネットは図書館みたいなもので ぼーっとしていても何も入ってこない こちら側がリクエストを出す こちら側がどういうコンピュータ、OS、IPアドレスなのかを伝えなければならない インターネットが匿名だと思ってるのは2chしか見てないから ネットが社会のインフラになるにつれて 社会が基本的に顕名になっていった 大きな変化がおきている 別の言い方をすると 昔は村の内部ではみんな顕名だった どこで誰がどうしたとかみんなばればれだった しかしその外では匿名だった 共同体と市場と言い換えてもいい マーケットは匿名 貨幣は履歴を記録しない交換単位 市場の性質にとって重要 共同体の中では、あいつの野菜は買いたくないとか、 人格関係と商品の関係は切り離せない しかし、ビックカメラの店員が気に入らないから買わない、とかは普通はない ものさえ買えればいいや、という考え 匿名的な交換が可能になっている 共同体 市場 顕名  匿名 人格  商品、貨幣 つい最近までこのように大きく分かれていた ユビキタス社会は貨幣を顕名にしようとしている クレジットカードや銀行振り込みが出てきた時点でもう違ったのかもしれない 昔は給与は現金で渡されていた 現金でタンス預金をしていた場合、 いつどのように入ってきてどう使ったのかわからない これが全部電子マネーになったらどうか 全部履歴が残る クレジットカード以外に現金があるから今はまだいいけど すごい勢いで電子マネーへの囲い込みが始まっている 個人のプロフィールや、ものをいつ買うか分かってしまう 貨幣は匿名ではなくなってしまった 市場の性質も変わりつつある 今までは商品もぼーんと作ってばらばらばらと流れてどんどん売れて行く 誰が買ったのかどう使われたのかわからない ところがRFIDタグをつけたりして管理が細かくなっていった はっきり現れているのがデジタルコンテンツ 食料品などもそうなる 将来の話を考える りんご1つ1つにタグがついている 技術的には可能 どのりんごが誰の手に渡ったか追跡できる 冷蔵庫もネットにつながる スマート家電としてだんだん賢くなっていく 肉とか野菜に付いているタグを読み取って 冷蔵庫自体が生鮮食料品の在庫管理をするようになる どの家にどの食料品があるのかわかる レシピサイトに登録しようとすると、冷蔵庫番号を入れないといけないとか ものを作るのは市場に出したら終わり、ではない どこでどのように使われているのか生産者にフィードバックされるようになる 悪いことではないけど 市場は匿名ではなくなる CD まったくプロテクトされていない素晴らしいメディア どんどんプレスして売るだけ 消費者がどんどんMP3に変えてネットで公開していても、どうしようもなかった しかしだんだんプロテクトの技術が出てきた 今はDRMへの反発もあるけど、長期的にはDRM、管理の方向に進む 末端の消費者がどう再生しているのか どの曲とどの曲を聴いているのか どういうCDと一緒に買われているのか 作り手としては非常に重要な情報 ものを買ったらむかついてぶっ壊しても良かった しかし壊すのはいいけどMacOSを抜いてコピーして売ったら訴えられる 買ってもいくつかしてはいけないことがある そういうライセンス契約 やってはいけない事が決められている状態で売られている 昔の売り買いとは違う CDやDVDを本当に買っているといえるのか あの中のデータを自由にいじれる権利はない 家で見たり聴いたりする権利を買っている 知覚権を買っている 将来的には映像とか音楽はパッケージ販売はなくなって 基本的にはネット販売 何回聴いたらいくら、とか色んなことができる ものを見るとか読むとかの意味が変わってきている 図書館は誰が何を借りているのか教えてはいけない 取材権の秘匿とかと同様、すごく重要なものとして守られている 本は匿名で読める 俺はこういう人間でこういう本を読んでいる、ということを世界に明らかにしない テレビも音楽もそうだった しかし知覚権を考えるとそれはそうではなくなってしまう 僕が何時にこれを読んだ、何時にこれを聴いた 自分の情報が著作権側に送られ認証され、再生される 今まで匿名だったエリアがどんどん顕名になっている 何故なのかというと 個人認証を社会秩序の根底に置きつつあるから あなたはこれを買う権利がある、売る権利、作る権利がある、 毎回毎回認証して、権利があったら商取引 今の人間はそれを普通だと思っている 道端でりんご売ってても普通は買わない 田舎の国道とかではまだある 雑然とスイカとか並んでいる 秋になると松茸とか筍とか 誰も居ない 100円払いたい奴は払えみたいな そういう文化人類学的世界 そのうちなくなると思うけど こういうところでキノコ買って家で食ったら死んだみたいな事件があった 責任がない 売り場は明日はなくなっているかもしれない でも昔のマーケットはそんなもんだった 買ってあたって死んだらそいつの責任 完全に匿名、ものの履歴も金の履歴もわからない 今は非常に危険だと思われている 最近のスーパーで売られている食料品には農家のおじさんの顔がはってある 私が作りました そうなんだって感じ そのうちこれも偽装が明らかになったりして 実は隣の奴だったとか
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インターネットは匿名で危険だと言うけれど 僕は郵便が危険だと思う 海外のポストと写真を撮ったり、僕はナチュラルに郵便に興味がある 郵便はすごくいい加減 郵便のいい加減さはずば抜けている 年賀状はすごくやばいものだと思う 何々ちゃん生まれました、とか家族構成がわかって、しかも顔写真つき、 そういったものが数百枚とかばんばん出している しかもバイトを高校生が700円とかの時給でちゃりちゃり運んでいる 奴らは倫理とかないから捨てる奴は捨てる 改善される可能性もない ネットよりもぜんぜんやばい 郵便は昔小包爆弾とかあった 個人認証しなくても発送できる ネットではとてもできない ネットでどっかのサイトへアタックするときに自宅からやってたら一撃でばれる 自分がどっからアクセスしているか晒してしまっている 郵便はそうじゃない あいつむかついたからといって剃刀送ってもばれない 匿名発送が可能、受信側もてきとう、抜き取られることもある しかし困ったことに郵便は重要なものを運んでいる 入学願書とか これが届かなかったらそいつの人生やばいみたいな 近代社会はそんなものに頼っていた まだ郵便は放置されているけれど これから僕たちが新しいシステムを作るならこんなシステムは作らない 今は書留しか信用していない でも郵便の書留は本人じゃなくても渡してくれるからまだまだ 郵便は信用しているくせに、なんで匿名性が許せなくなってきたのか 面白いメンタリティ 最近驚愕している事件 イギリス 国税庁かなにかがDVD2枚なくした イギリスの子供がいる家庭全ての個人情報が入っている 住所名前口座番号セット 2500万人分 宅急便で出して消えた これはすごい話 かつてない個人情報漏洩事件 イギリスの3分の1だか4分の1だかが含まれている 日本でもっと大きく報道されてもいい まず、なんでそんなものを宅急便で出すのか まあなるべく行政を安くしようとしたら出すか
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また違う線を導入する プライヴァシーという概念 lets be aloneの権利 1890年代マスコミが出てきた イエロー・ジャーナリズムが出てくる前は 家の前に報道陣が押し寄せるようなことはなかった そこで、一人にしておいてもらう権利 プライヴァシーはそう設定されていた 1970年くらいから新しい権利が出てきた 自己情報管理権 侵入してくる奴を止める権利ではない もっとアクティブな権利 個人、グループ、組織が自己に関する情報を いつどのようにどの程度他人に伝えるかを決定できる権利 福祉国家では膨大な個人情報を管理するようになった 福祉には個人情報が必要 福祉国家になるということは国家が個人情報をいっぱい持つということ 大型コンピュータも出てくる 企業も当然持つようになる クレジットカードもでてくる 個人情報の濫用を防ぐために、市民が国家や企業を抑える権利 この頃はまだハッカー文化はない コンピュータはメインフレームだった 国家        監視 企業        ←   個人 メインフレーム   →   市民 個人情報は渡ってしまうもの 個人や市民は国家や企業を監視しないといけない そう再設定された しかし個人がコンピュータを持つようになるとこういう図式は崩れる Google上には僕について書かれた情報は莫大にある 僕があるとき突然切れて、プライヴァシーの侵害だと訴える 俺に関して書いてあるんだからこれを管理する権利は僕にある だからこの情報は削除しろ いちいち言っていたらきりがないし、事実上の検閲になる そういう社会はあってはいけない 1970年代の権利を今の時代にそのまま当てはめるとそうなる 今人々はどういうふうにプライヴァシーについて考えているのか デジタルにlet be alone 自分に関する情報が自分の知らないところであちこち増殖するのは避けられない それを否定しようとすると検索などの理念を否定することになる いったいどういうときに僕はプライヴァシーという言葉を使えるのか おそらく、匿名や無名になりたいと思っていたときにそれが暴かれる、 そういうときにプライヴァシーが脅かされたと感じる そういう時代にいきつつある 情報自由論でもっとも重要な主張 あんまり注目されていないんだけど 僕は匿名性を2つに分けた ・表現の匿名性 ・存在の匿名性 表現の匿名性は情報の発信地に名前を隠す権利 実名でやると他人からいろいろ言われるので匿名で書く 簡単にいうと2ch 2chの読者の匿名性が問題ではない 書き込んでいる奴の匿名性が問題にある 発信している奴の匿名性 存在の匿名性はもっと本質的なもの 僕たちはものを買う、 ものを買うだけで個人情報をとられる 音楽を聴くだけで個人情報をとられる 社会生活をするとどんどん個人情報を取られる つい最近までそうじゃなかった 新しく出てきた問題 表現の匿名性は昔からあった 昔は生きているだけなら匿名だった 今は生きているだけでも暴かれる 存在しているだけで顕名な時代に入る 作家と読者を考える 作家が匿名ですごいやばいことをやって、匿名が暴かれて実名になる 一時期2chがネットを知らない人たちに叩かれていた  匿名だから叩かれている  いや匿名だからいいんだ 情報自由論を書いている頃そういう論争があった 僕はどうでもいいと思っていた 情報発信時に名前を隠すかそうでないか、これは古くからある問題だから しかし2chを見ているだけで情報が暴かれるということは原理的には可能 テロリストのサイトを見ていたら国防総省にマークされるとか やばい奴のサイトにアクセスしているやつの個人情報が暴かれる 見ているだけで個人情報が取られることは問題なのではないか やばいことをやっている奴の匿名性が暴かれるのは必要 しかし見ているだけで暴かれるのは問題なのではないか おそらく児童ポルノの単純所持は違法になるだろう 僕も児童ポルノには反対 しかし単純所持は見る、消費する行為 制作する行為と見る行為にはすごく違いがある 制作者は子供をポルノの被写体にする行為が罰せられる 消費者は見たいという欲望が罰せられる 最終的にまずいことになって罰せられるのはいいけど 欲望を罰するのはよくない テロのサイトがあって、 テロのサイトを支援したりお金を送ることが裁かれるのはいいだろう しかしテロに興味があって読んでいるのを裁いてはいけない これまでポルノを買っている側は処罰できなかった 追跡できないから 同じようにテロリストが本を書いた 発禁することはできるけど 買った奴を処罰するのは難しかった 顕名社会では送り手だけではなく受け手も罰せられるようになる 欲望が裁かれるようになる これには同意しがたい 僕の基本的な考えは、 他人の内面には絶対に踏み込むべきではないということだから 存在の匿名性は存在しているだけで個人情報が収集されるのを防ぐ権利 例えばネットワークから切断される権利 コンビニにフルフェイスのヘルメットで行くと警戒される 普通だったら顔を出しているのに隠しているということは やばいことをするんじゃないかと思われる その原理がネットや情報技術によって拡張された場合どうなるのか 現金決済は匿名だから、ネットワークから切断されるということ 皆さんは麻薬を買ったりしてないだろうけど 麻薬をクレジットカードで買うバカはいない 将来、普通の人がほとんど現金を使わない時代に 現金決済をやるとそれだけで犯罪だと思われてしまうかもしれない フルフェイスみたいなもの なんで現金持ち歩いているのか、怪しい、と思われるんじゃないか Googleのサーヴァは僕のGmailの内容を全部見ている 少なくともデータベースには含まれている それをスパムフィルタなどに利用している これをプライヴァシーだと思わなくなっている 企業に自分の銀行口座を監視させるようなサーヴィスも生まれるのではないか 毎月現金を15万おろすような奴は怪しい、ということで 少し警戒レヴェルが高くなっていく 現金を使うだけで警戒される社会がやってくるのではないか 存在の匿名性が脅かされている 防衛省ゴルフの接待だかの問題で、 防衛省の幹部を24時間GPSで管理したいと言っている 新宿の歌舞伎町で3時間消えた、なんて超やばい 幹部同士で2人で行ってたら超アウト うちの娘くらいが小学校に上がるくらいには 東京都内では子供をGPSで管理するのは 当たり前だと思われるようになっている可能性が高い まさに存在の匿名性が脅かされている 恋人をお互いにGPSで居場所をチェックするとか 最近のカップルはケータイメールを見せ合ったりしてもうよくわからないけど 僕の基本的なスタンスは みんなが欲望しているのならしょうがない やりたいんだったらやれば だから問題提起がしにくい 僕個人としては、GPS付き携帯電話を持てと言われるのは嫌だ でも何年か経ったらそれもいいような気がしてくるかもしれない いいのかもしれないな しかし良くないと考えることも重要なんじゃないか 結局 大変弱いロジックなんだけど みんなGPS付きケータイでいいんじゃないかと思われていても それが嫌だという人は必ずいる しかしそれが嫌だという人も生きられる社会を作らなければいけない 存在の匿名性を守るか守らないかではない 守りたい奴が生きていけるか 居場所を明かさない奴は犯罪者だと規範を変えるのは間違っている リベラルが問題なのか リベラルでない奴を許すか 個人的には、親を安心させるとか恋人を安心させるなら GPSで情報発信する違和感がなくなっていくだろう それが嫌だという人たちをどう受け入れて行くか
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ぽろぽろ飛ばしたところがあるので 来週とかはそういった話をしつつ 匿名性とか何なのかと哲学的な話をしてみる