昨年の東浩紀「ポストモダンと情報社会」に提出したレポート

昨年の東浩紀の講義「ポストモダンと情報社会」に提出したレポートを晒してみます。点数は90点。こんなんでも単位が取れるのか、という感じで参考にしてもらえれば良いかと。

卒研発表と締め切りが重なって、あまり文章に凝れなかったのが残念なところではあるけど、自分が大学で書いたレポートの中で最も出来が良いと思っています。

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 S嬢は彼氏でもない僕の手を握り締めた。手を繋ぐのは好きだとS嬢は言う。このことから、S嬢は人肌に触れていないと発狂して死んでしまうのだろうと推測できる。でも彼氏は遠い関門トンネルの向こうにいるのだ。だから彼氏以外の男の人と手を繋いだりセックスしたりする。そんなS嬢は性に奔放なのだろうか。一度スワッピングを提案してみたことがある。ところがS嬢は頑なに拒否してきた。彼氏を自分だけのものにし続けなければいけないようだ。
 端的にそれが現れているのが、彼氏の現在地がいつでも確認できるように、auGPSサーヴィス「安心ナビ」の、「いつでも位置確認」を利用していることである。彼氏が誰かとラヴホにでも行こうものなら、すぐに浮気が発覚してしまうことだろう。このサーヴィスを利用するには、事前に相手の許可が必要なので、彼氏はそれを許可してしまったということになる。なんと寛容な彼氏であろう。自分だったら絶対にごめんだ。
「じゃあ彼女に要求されたらどうする?」
 S嬢は問う。なるほど。これまで考えてみたことはなかった。何かうまい言い訳があるだろうか。その日はうまい返答が思いつかず、S嬢から嘲笑された、ような気がした。こうなったら復讐が必要である。そこで、論破するためのアイディアを集めるため、同様の質問を友人Iにしてみた。
「僕だったら、恋人同士でもプライヴァシーは大切だと答えるね」
 確かにこれは、模範的な回答である。模範的すぎる。しかしこれを相手に納得させるには、プライヴァシーの概念を相手が理解している必要がある。残念ながらプライヴァシーは近代社会が生み出した概念だ。相手が前近代的な閉鎖的共同体の出身だったらどうであろうか。この概念を理解させるのは骨の折れることであろう。かつては、プライヴァシーの概念なしに、人類はうまく生活していた。歴史がこれを証明している。もっとも、これと同じ理屈を用いれば、かつては人権がなくても人類はうまく生活していたとか、奴隷制があってもうまく生活していた、などといった常識はずれの議論が行われてしまうので危険である。しかし、これらが常識はずれだと主張するのもなかなか難しい。何しろ相手は前近代的な閉鎖的共同体の出身かもしれないからだ。少し話が横道にそれてしまったが、この模範的回答に、人格的自由しか見えていないようなサヨク的、日教組的な怪しさを感じてしまう人も多いだろう。人権といった抽象的概念に依拠しすぎている。ある個人のプライヴァシーが侵害されたところで、世界はこれまでどおりうまく回り続けるのだ。
 「ポストモダンと情報社会」の授業では「リベラル」と「保守」の対立、それを止揚するものとしての「リバタリアニズム」が語られたが、上の回答をこの図式に当てはめるとするならば、「リベラル」なものになるだろう。それでは「リバタリアニズム」的な回答はどのようなものになるだろうか。
 授業において、リバタリアニズムの社会では、環境管理というアプローチで世の中の秩序を保っていくものとされた。人が何らかの行動を起こすには、そしてそれが許容されるためには、その資格が重要になってくる。その資格を与えるものが権原だ。資格、権原といった概念を持ち出して、「いつでも位置確認」サーヴィスを拒否することは可能だろうか。
 大学1年時に行った「コンピュータリテラシ」という授業を思い出した。「情報リテラシ」という言葉もある。「リテラシ」という言葉は、どこかもってまわったような印象を与える。「リテラシ」という言葉を用いてS嬢を煙にまけば良いのではないだろうか。つまり、あなたには私の居場所の情報を扱うリテラシがないから、私の居場所を知る資格はないと言うのだ。
 情報技術の発達によって、クリティカルな情報を簡単に入手できるようになった。クリティカルな情報というのはどういうものかというと、扱いを誤ることによって大きな被害、破綻が発生するようなものだ。
 情報を持つ資格の不整合ゆえに起こってしまった痛ましい事件の例として、佐世保小6同級生殺害事件が挙げられる。この事件では、小学6年生の加害者が同級生のホームページの掲示板を管理するためのパスワードを知っていたために、掲示板での悪口がエスカレートしてしまった。つまりこのパスワードはクリティカルな情報で、小学6年生の加害者の扱う資格のなかったものだったのである。
 このような、クリティカルな情報を資格のないものが扱ったために起こった事件の例は、情報技術の発達する以前からある。例えばロッキード事件。この事件は、田中角栄が愛人だった辻和子に漏らした情報から発覚してしまった。辻和子にはその情報を扱うリテラシがなかったのだ。もっとも、それは田中角栄から見た話で、社会からすればこれで事件が発覚したのだから、社会全体にとっては良かったことなのかもしれない。
 このようなクリティカルな情報は、情報化された社会においては至るところに存在する。この傾向は今後ますます色濃くなってゆくことだろう。本当にクリティカルな大事件が起こってしまう前に、我々はクリティカルな情報に対する資格、権原の概念に対する意識を深めていかなければならない。
 そのためにはまず、S嬢の質問にはこう答えなければならない。彼女には僕の所在地という情報を扱うリテラシがないと。