論者ハッタリたん

口頭では色々な方に面白いと言われて、生きる希望が沸いてきたのですが、ネットでは2chで少し反応があった以外に反応を見ていないので、仕方がないので自分で自分の漫画をレヴューします。

これは同人誌「ケフィア」に載せてもらった1ページの漫画ではありますが、1ページながらも密度はそれなりに高く、前半と後半の2部構成となっています。前半が7コマ、後半が3コマです。この構成は錫屋氏には評判が悪く、彼は前半と後半で断絶があるからこの漫画は失敗作だと主張しています。確かに発想の時点で既に断絶があり、前半のネタを考えてから後半のネタを考えるまでに30分ほどかかっています。個人的には後半の展開はなかなか良く出来ていると思っているのですが、頭で無理矢理考えて人工的に構成したネタであることは否めません。と言いつつ頭で無理矢理考えて話を作る以外に漫画を描く方法を知らないので仕方ない。

後半の展開はなかなか良く出来ていると書いたけれど、それはコマ割りも同様です。一方、前半は微妙な出来で、特に3コマ目と4コマ目がどうしてこうなってしまったのかさっぱりわかりません。2コマ目から3コマ目への視線移動をもうちょっと考えるべきでした。まあこのコマの位置を維持するにはかなり強引にやるしかないとは思うのだけれど。ついでに顔も同一人物に見えなくていまいちですね。女の子を可愛く描かないようにしようと努力したのが仇になったような気がします。女の子を可愛く描かないのは何故かというと、単に読みやすさのためなのだけれど(高野文子がそんなようなことを語っていた)、それがうまく行っているかは甚だ疑問です。

しかしこうしてレヴューを書いて明らかになるのは、漫画の内容にろくに触れておらず、自分は漫画の内容はどうだっていいと思っているのではないかという疑問です。まあ確かにそれはそうで、今回はたまたま批評誌に載せるということで批評をネタにしたに過ぎません。何か伝えたいことがあるわけではないのです。だから文体くらいしか語れない。と、現代の作家としてはまるで普通のことを書いたけれど、でもこれから先どうなるかはわかりません。ある日突然共産主義に目覚めて、革命の為に漫画を描くようになるかもしれないし、温かい家庭が一番だとかパンツは縞でないとダメだと主張をし始めるかもしれません。そうなったらもうちょっと漫画を描くモチヴェーションがあがるのではないかと思っているのですが、実際のところどうなんでしょう。