シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」

東工大の講堂で行われたシンポジウム。東浩紀ポストモダンと情報社会」を履修している人間は聴きに行かなければならないようなので聴きに行く…わけがなくてそもそも自分は履修していない。しかしそれでも聴きに行きます。

というのは昨年のシンポジウムの時の日記に書いたことです。

昨年のシンポジウムで東工大の講堂が満員だったのだから、浅田彰磯崎新宮台真司という顔ぶれで満員にならないわけがなく、主催者側は一体どういうつもりだったのか謎です。まあ一応中継システムもあったようだけれど、東工大は、講堂も狭いし体育館も卒業生を全員入れるキャパすらない微妙な大学なのです。まあ良い所もありますが! 南2とか。

昨年とは違い、質問の時間はありませんでした。こうしたところでなされる質問は退屈で生産的ではないかもしれませんが、個人的には、どういうわけでこんなところに紛れ込んでるんだこの人は、みたいな人の質問を聴くのは結構好きなので少し残念。もしかしたら、ガチに講演会潰し、シンポジウム潰しをやろうとしているのかもしれないけれど。

さて内容。例によって自分はあらゆる授業を聞けてない人間なのであんまり覚えていないのだけれど、ふまじめさが公共性につながるというのは、相変わらず例がひろゆき的なものしかないのが弱いというか、自分にはひろゆきがとても特異な存在に思えます。ひろゆきが居なかったら、2ちゃんねる的なもの、ニコニコ的なものはどうなっていたのかわからないので、他の例が欲しいなあと思えてなりません。

しかしここでもう一つの例を発見してしまいました。矛盾を指摘されると「僕は何でも言う」と返す宮台真司です! ここには不真面目さがあるけど、ロビー活動とかして影響力は一番強いのかもしれない。ここでも公共性の逆説が…! これで東工大の授業のレポートも書けますね。だめか。というかそもそも出さないし。

しかし他の例って本当に思いつかない。Linuxあたりがそうなのかもしれないけど、そんなのエジソンとかと何か違うんでしょうか。