自分はもうじき相模原を離れるでしょうから、今はもうちょっと地元の人達と交流した方が良いのではないかと思って、id:YdaTanuki、Sさん、Sさんの友達(S'さんと表記する)とサイゼリヤで昼飯。サイゼリヤというところが如何にも歴史のない郊外って感じがして良いですね。これが自分の地元! しかしサイゼリヤかあ。25歳の女性が女友達と話す時に行くものなのでしょうか。まあ金が無いなら行くか。金があってもサイゼリヤなんじゃないかという気もするけど。何かもっと素敵っぽいランチはないものか。

さてS'さんとは初めて会いました。Y田とは同じ中学っぽい。まあどうでもいいけど。中学が如何に荒れていたかという話をする。でもそんな認識は無かったなあ。もっとも自分は何も観察していない。廊下で野球とかやってた。S'さんから、かつて通っていたという日本映画学校の話を聞く。学校名はその場では出されなかったけれど、条件に合う学校を今ググりました。阿部和重の居たところか…。映画系の学校に行っていたという知り合いは他に居ないので新鮮。映画撮りたいなあ…、って地元的な交流からかけ離れてしまいました。

Y田は弟の内定祝いだかで家族に呼び出され消えたけれども、その後不二家レストランで、Sさん、S'さん、彼女達の友達のFさんと夕飯。サイゼリヤよりもクオリティが向上しました。1時間半くらいしか居なかったと思うけれど、その間誕生日の子供が3組くらい居ました。さすが日曜日。激務ペコちゃん。そして地元感が溢れています。だから自分も地元感あふれる交流をしなければ。

要するに自分の言いたい事は合コンをやろうという事で、もちろん単に地元っぽい交流をしたいというだけなのだけど、じゃあ飲み会で良いだろという感じもしますが、というかそう言われますが、でも単に飲み会ということだと許容されるコミュニケーションの幅が大きすぎて良くないだろうと思うのです。一方、合コンでは普通コミュニケーションが求められるため、その空間にいれば自分も地元感溢れる普通コミュニケーションをするのではないかという期待があります。

と言うと、すかさず、お前に普通の会話は無理だと言われます。確かに自分はそれまで格差社会の話とかをしていました。いやでも頑張ればなんとか。じゃあ普通の話をしてみろよ、今すぐ! いや、この空間は既に歪んでるから無理、と反論しつつ頑張って普通の話をしようと試み、そして何故か音楽の話になり、「TSUTAYAでCDを30枚くらい借りると紙袋が渡されるんだけど、自分は渋谷のTSUTAYAで借りるんだけど、まあ横山とか橋本のTSUTAYA(要するに地元)は終わってるからあんまり行かなくて、あんなところでは文化的になれない」と言ったら、「横山のTSUTAYAを普段愛用している人に失礼だ」と言われるので、まあそれはそうかもしれないと思ったけれど、また別に趣味の話をして、「潰れそうな蕎麦屋に行くのが趣味」と言ったら、その発言は飲食店をやっている人がいたら気まずくなる、「潰れそう」じゃなくて「閑散としている」という表現が良いのではとアドヴァイスされます。でもそれは一緒にしか思えない。とかなんとか。結論は、自分は普通コミュニケーションが出来ないということにならざるを得ない。やはり無理なのか。というか普通とは何か。S'さんは『O嬢の物語』からVシネマを連想できる人だし、Fさんは「他人と円滑に話ができない」とかあらかじめ宣言しているよくわからない人だし、Sさんはメイド服とか買ってるし、一体どこに普通があるのか。まあ普通じゃなくても地元感があれば。しかし地元感とは何か。サイゼリヤか。サイゼリヤで満足できることが地元。不二家レストランが美味いことが地元。

ともあれ、自分の会話力のなさをダメ出しする飲み会はそのうちやるかも、という結論に至りました。あとSさんに読み途中の『O嬢の物語』を貸した。