東浩紀「ポストモダンと情報社会」12/18

今日の東浩紀の授業。下記の「メモ」がこのサイトを指しているのだとすれば(id:pggmかもしれないが)自分は自信を持っていいことになりますが、何に対する自信を持てばいいのでしょうか?

どうもどうも遅れてすみません
本年最後の授業らしい
皆さんよく出席してくれました

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この間あるプロの評論家(大森望さん?)とお酒を飲んでいたら はてなの要約がすごいと言われた メモを取っている方は自信を持っていいんじゃないか 来年も同じ授業やるのにあのはてなダイアリーどうしよう これ読んで終わりとか思われると寂しい あれ読んで読み上げたりすればいいのか
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今日は情報自由論の話をする 情報自由論とは何か 2002年-2003年 中央公論で連載していた 2002年くらいから住基ネットが話題になったけれども 当時は論壇ではあまり話題になっていなかった うちの読者層はコンピュータとかネットとかわからないと言われた 今では固めの雑誌でもそういう(Web 2.0とか)のが話題になったりするけど 当時は技術には鈍感だった 敏感の人ばかり固まった空間でなく 多少一般人と関わると大変 BBS とかにも注釈をつけなければいけない そういう悲惨な状況の中連載 ネットで公開されているので ぐぐれば読める 14 回分 興味があれば見てみてください 単行本化しようと思ったが 考えが変わったりまとまりがないとかでお蔵入り
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扱っているものの (1) 規律訓練 <-> 環境管理 (2) 匿名性(と自由の関係) 「規律訓練と環境管理」を最初に書いたのが情報自由論の 3 回目 このような社会で 人間が自由であると言うことは実質的に何を意味するのか 規律訓練のメカニズムでは 権力 -> 市民 能動受動の関係 環境管理型権力 その環境ではそれしかできない、それをやると特になる そのように整備していく権力 例えば電子納税 確定申告を紙で出すよりもネットでやった方が 5000 円安くなるらしい 安いから電子納税を選ぶ 国民のプライベートなお金のやり取りを把握して国家権力の増大、軍事国家への布石、云々 といった議論もできる しかし強制しているのではない 選ばせることによって権力のシステムを作っていく 自由か自由じゃないっていうのはあまり意味が無い 選択肢の中に既に重み付けがあって人々は誘導されていく 個人的な予感だけれど 電子的に記録が取れないものに対して厳しくなっていくのではないか 例えば電子マネー 何時に何を買った、といった情報を記録する 現金ではわからない トレーサブルじゃない トレーサブルじゃないお金の動きを 危険なものとしてみなすようになっていくのではないか 10万 超えた現金を振り込めない 口座間なら可能 現金はトレーサブルじゃないから危険 こういった傾向がますます精緻になっていくのではないか (外れたら恥ずかしいけど) 半世紀後くらいには コンテンツは全部ストリーミングになっているかもしれない すでに 100M くらいのファイルならもう CD-ROM なんて使わない 物理メディアに物を焼く、という必要がなくなる そもそも物理メディアは違法コピーの温床 DRM がきちっとした状態でストリーミングで流して置けば OK 物理媒体にデータを焼くということは今後ますますなくなっていくだろう ストリーミングなら著作権管理ができる 物理媒体は危ない、というふうに感性が変化していく iPod とか、HDD に溜めておく必要はなく ブロードバンドでストリーミングでやればいい 1 回 1 回の再生に対してお金を取ればいい ローカルにデータを持つことが著作権法違反、リスク、 と捉えられるようになるのではないか CD、DVDに象徴される データストレージそのものが危険 パッケージそのものが危険だとみなされていく可能性がある 抽象的にいうと 匿名性が危険 現金は誰が使ったのかわからない CD もどこへ行ったのかわからない 一度店に卸してしまえばわからない 誰が買ったのかわからない そんなわけで、 自由というのは匿名性?
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迂回情報 DVD はプロテクトがかかっている 一応、データを引き抜けなくなっている それを解除する自体が著作権法違反 at アメリカ 迂回はなぜ禁止されるべきなのか という議論が話題になっていた頃に情報自由論を書いていた なぜ DVD が焼けるのか 焼く装置があるから そもそもあんなの売らなければいい コピーワンスというプロテクト機能 今はどうなっているのかわからないけど これも技術的な管理に近い 物理メディアに焼くことは 1 回限りに制限 それを避ける行為を法律で禁止する 最終的には匿名性の排除に行き着く 本屋で買えば誰が買ったのかわからない でも Amazon ならわかる # 最近チェックしたもの欄 # たまたま飛んでしまった 18 禁の何かも出てくる # あれは勘弁して欲しい 本というのは伝統的な管理が残っていくのではないか 再生装置が要らないから 再生メディアは技術に拠る 紙があれば本は読めてしまう この世界から紙を抹殺して電子ペーパーにすればいいけどそんなの無理 コピー機さえあればコピーできる コピー機なくしても写せばいい 紙は強い 紙以外のコンテンツメディアは再生装置を必要とし、 それをいじることで管理ができる 自分がこの音楽を聴いている この映画が見ている、 という情報は誰かに知られることになるだろう 匿名性が失われている
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entitle entitlement 名詞 これからの監視は ID card ではなく entitlement card ID カードはアイデンティティを付与する 東工大の学生証は東工大の学生であることを保証する entitlement card は様々なサービスを管理する こいつはサービスを受ける資格がある こいつにはない 図書館に入る資格を与える # 面倒だから全部 1 つのカードでいい # それによる問題もわかっているけれど # 最近住基ネット訴訟に熱い思いがなくなった # Winny 製作者逮捕されたけどどうなんだろうなあ微妙ですよね # 意外と裁判官も考えてやったのかなあといった節がある # 金子さんにも会ったことあるけど、 # 彼自身は悪用することには関心はなく P2P に関心があったのだろう # 今後技術に対しても倫理的に制限されていくようになると思われる # 一方、無罪になって技術者がなんでもできるようになるのも嫌だなと複雑な心情 ポストモダンの社会では下にインフラがあって ユーザーに応じたサーヴィスが提供される それを具体的に考えてみると… entitlement card からまず リバタリアニズム (Libertarianism) が連想された entitlement card なんてものは特別なイデオロギーなしで行われている これ自体は単に便利なもの リバタリアニズムの人々はそれに近いことを言っていた リベラリズム (Liberalism) とは違う リバタリアニズムは日本では 新自由主義、新保守、ネオリベといった言葉がメジャー # Communitarianism というものもある # Communism に似ているがやたら長くなっている # ひねった形容詞にさらに ism をつけた リベラリズムは 19 世紀は個人の自由中心だったけれど 20 世紀に入ってからは弱者を大切にするために 個人の自由よりも公共の福祉 そういった主義を表すようになった 2ch 的にはサヨ J.Rawls 『正義論』古典 個人の自由を重視する主義を表すために リバタリアニズムという言葉が生まれた R. Nozick『アナーキ・国家・ユートピア』 上の 2 冊を読めば違いは大体わかる 森村進『自由はどこまで可能か』『リバタリアニズム読本』 ありがたい良い本 # なんとか読本(Reader)という本は英米圏でたくさんある # デリダリーダーみたいな いろんな本から10ページずつくらい載っている # デリダとか要約したかったらそういう本から引用する # 誰も原著とか読んでない でも引用できる # デリダとか読んでたのは恥ずかしい過去 # もはや他人みたいな感じ # 日本ではゼミとかで 1 年かけて 10 ページ読む # 精神修練みたいなのを大切にする # なんとかリーダーとかは嫌い # 便利だから何とかリーダーを増やすべき           リバタリアン           /    \     リベラル         保守 個人的自由(人格的)\    /経済的自由            権威主義 上の方向が自由を認める方向 リベラルな人たちは弱者にも寛容 つまり福祉政策を充実させる 格差社会はいけない 個人的自由を認める 保守主義は逆 国家とか君が代とか歌おう 国家を愛する心 そういうのが保守主義だけれど 一般的にはネオリベ的自由と結びついて 金持ちが多く、所得税とかをどんどん低く、 規制緩和して人々の流動性を高めよう ライフスタイルにはいろいろ制限かける 経済的自由を認める 上の 2 つが一般的に左翼と右翼 権威主義はもっと終わっている 自由を認めない 税金をがっぽりとって国家が勝手に決める リバタリアニズムは 経済的自由も個人的自由もマックスで認める 個人的自由は 政府を大きくする 現実的 いますぐ保育所増やせ 理念は希薄だが話し合いが好き 討議的理性 経済的自由は イデオロギー、文化、民族、といった理念的にまとめるものに期待 基本的に右翼はすごく抽象的 ロマンチスト 自分が日本人…だからと言って日本語喋るくらい 延々と流れる血、大和のなんとかとかすごく抽象的 感覚的 しかしリバタリアンはどっちでもない そんな社会をどうやって保てるのか 情報技術によって保つ 『アナーキ・国家・ユートピア』 ここで語られているのはメタユートピア 全部自己決定自己責任 しかし全部認めるのはまずいから せいぜい暴力の独占装置くらいはつくる 自分達で勝手に決めて、コミュニティを作ればいい 例えばリベラルな、権威的な、保守的な国家を作ればいい その下には普遍的なフレームがある いつもこの授業で言っているインフラの部分がそれなのではないか ノージックの理論を今再解釈するとそうなる 例えば性犯罪をして捕まったとしましょう 3、4年して出てきた リベラルな社会であれば、優しく受け入れて、新聞配達でもやらせよう # でもまたやってしまう ありがちな結末 保守だと、もう出てくるな リバタリアン+工学的管理だと 普通の生活を許す、仕事してくださいでも、 犯罪歴を管理していて、性犯罪をやりそうな仕事には就けない 性犯罪ができないような仕事に就くようにする アメリカは日本でも進んでいて アメリカで起こったことは日本でもだいたい起こる アメリカでは性犯罪者の顔写真と住所を公開している Google マップで犯罪者マッピングが簡単にできる フロリダかどっかで実際にやっている 衝撃的な映像 吹き出しがでて、顔写真が出て何月何日何々やった こういう社会は自由は認めている ちゃんとお金を持って、でっかい家を買っても、誰も文句は言わない しかしそういったデータは公開されている 普通は 個人的自由と経済的自由は バーターだと思われている(右翼と左翼、保守とリベラル)けれど リバタリアニズムはそうではない 情報技術で管理
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話を戻して entitlement card について entitlement 権原 権原に戻ることによってすべてを解決する 大きな政府で弱者救済もいいが たくさん税金を持っていかれる なんでこんなことが許されるのか なぜ正当化されるのか 大抵は、正義、倫理といった超経済的理由を持ち出すが ノージックは彼の富には手を出すべきではないという リバタリアンな社会では 資格があるかどうかが決定的に重要 自己決定自己責任 公共性の変容 誰にも無限に解放されているものはない 東浩紀東工大で教えているから東工大に入る権利がある 入る権利がない人は入れない 今までは管理する技術がなかったから誰でも入ることができた 技術があれば、入ろうとするとブザーがなるとか 権限を持っているか持っていないかで細かくコントロールされるようになる 本当にそれでいいのだろうか、 ということを『情報自由論』で言った 匿名性を根拠にして疑問を差し挟む でもこれだけでは弱い 他に否定する根拠はあるのか ないのかなあ…というわけで単行本化していない 自由と規律のバランス 経済的自由と個人的自由のバランス これまではバランスで動いていた 管理社会によって新しい秩序が発生し 今までのバランスが壊れつつある 社会思想と情報技術 新年も考えていきましょう