東浩紀「ポストモダンと情報社会」11/13

今日の東浩紀の授業

10分遅れ
迷ったのではなく普通に遅れた
プロジェクターに出力するためのアダプタを探していた
講義に参加していた人間が提供
東工大生はやさしいですね、という

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京都SFフェスティバルに参加していたため体調が良くない 『動物化するポストモダン2』が今度出るのでその話をしていた 東工大生がどのくらい SF を読むのかわからないけれど… ポストモダンの話をするとサイバーパンクに出会う cybarnetics 機械も生物も社会体も全部一緒なんだという考え方 計算機科学にはそんなには影響を与えていない…? 1980年代に出てきた SF の大きな流れ 文学運動 ・ギブスン ・スターリング  サイバーパンクという名称を付ける  批評家みたいな人  『ハッカーを追え』というノンフィクション 結構良い  原題 "Hacker Crackdown"  ATT のコンピュータから何か盗む -> 訴訟 -> コピーは盗むことに値するのか?  EFF という組織を立ち上げる 電子フロンティア財団  サイバースペースの独立を志向  国家に取り込みたい政府の間でいろいろな裁判  S.Levi "Hackers" もおすすめ  『JM』おすすめ 駄目映画で有名  ウイルスとかファイアーウォールとか違うでしょそれはみたいな ・ベア サイバーパンクは結構人間中心的 人間が主人公 人間のイメージは古典的 特にギブスンはそう 1990s ニュースペースオペラ NSO ラジカルハードSF singularity 情報技術 etc によって人間が人間がなくなった以降の世界 主人公たちもほとんど人間じゃない 人の心そのものを技術的に操作 人間というもののイメージが変わっていく イーガン 性同一性障害 体の性を変えるのではなく脳の性を変えるような話 人格同一性はどうなっているのだろう ここまでは雑談
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前回も言ったけれど… ポストモダンの思想は2通りある ・リベラルな多様性肯定 <- イデオロギー  コミュニティ、主体  -> 自由 ・ネオリベ的(リバタリアン的)な個人主義 <- 効率、安全、リスク  アーキテクチャ、セキュリティ  -> 管理 多様性を肯定するためにそれに必要なインフラはきっちりしましょう |○-○-○-○-| 複数のコミュニティ |______| 単一のアーキテクチャ 2層構造を持ったポストモダンの社会が近代的な社会からはどう見えるか Cass Sunstein "Republic.com" インターネットは民主主義の敵か キリスト教原理主義者はキリスト教原理主義のサイトしか見ないから 多様な価値観があることを認識しにくい 昔だったら 多様な価値観 -> 議論 -> コンセンサス         ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^この辺が民主主義 インターネットでは 多様な価値観 -> 分断 Google デスクトップか何かを使うと 自殺の話ばかり見ていると自殺の話が多く配信されるようになる キリスト教原理主義の話ばかり見ていると キリスト教原理主義の話が多く配信されるようになる インターネットは民主主義的な議論の場を根底から覆す 2ch は朝日が敵 朝日が情報を歪めている マスゴミ しかし世の中全体からみれば 2ch の価値観はマイナー 2ch にとって大衆は TBS etc ではなく 2ch 自分たちこそがマジョリティなんだと意識しながら生きていく
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パーソナルコンピュータは左翼的な思想と強く結びついている GNU のような運動 国家とか社会に依存しない 強い個人主義 イデオロギー的な、 あるいはカウンターイデオロギー的なものがある Rheingold ラインゴールド ハッカームーブメントの中で仕事をしてきたライター 『思考のためのツール』 イワン・イリイチ 規律訓練的権力から外に出ようと主張 を引用 Hackim Bay『T.A.Z』 Temporary Autonomous Zone マイナーで大した本じゃないけれど… ラジオは簡単に誰でも発信することができる 誰にでもできるハッキング性 ある地域だけで発信することによって カーニバル的で自由な自立した空間を作る 自由ラジオ 粉川哲夫 インターネットもそういうもの 反体制的 1990年代にはそういった インターネットの反体制的、イデオロギー性がそぎ落とされていく コンピュータに関してはリテラシーなどについて語られるようになる イデオロギー的なものとそうでないものの問題系の分割 重要な問題は脱イデオロギー的に語るべきである、という主張もある 近代社会では 多様な価値観が1つの価値観にまとまっていく 民主主義 討議的理性 まとまっていく過程でマスコミといったものが重要 ポストモダンの社会では 多様な価値観をそのまま放置していく 放置しても安全に動く社会を作っていくか 浅田彰の『構造と力』P.236 からの引用 クラインの壷リゾーム、などの図 ポストモダン 多種多様 無秩序 前近代的な static な社会から脱出する過程がポストモダンであると 浅田彰は思っていた 文学的、夢 インターネットはすごくリゾーム的 しかしその背後にはシンプルな情報のデータベース あるやり方(フィルタリング、環境管理)で 情報をデータベースから取ってくると多様性が表れる リベラルな思想の背景には リベラルな社会を維持するために 脱イデオロギー的なアーキテクチャが整備される
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宮台真司 1990s まではオウムなどのコミュニティについて語っていた 性の自己決定 まったり 2000s になると転向、でも転向じゃない 必然 国をちゃんと語らないと駄目だよね みんなが自由に勝手にやってく以上、 それを維持するアーキテクチャについて語る必要が出てきた
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ポストモダンの社会は、 グローバルな帝国が動物化した消費者から搾取する といった見方もできる こういう話は単純な話に落ちるので好きではないけれど… Google Adsense 1クリックいくらか 消費者金融のクリック単価は高い 例えば1クリック5000円がGoogleに入る その広告料は自殺者の生命保険などから出ている 金のむしり方が巧妙になっているだけ フラット化する社会の美談が語られるけれど 結局、より効率が良い配分で 搾取されて誰からが儲かるシステム Antonio Negri, Micheal Hardt "Empire" 『<帝国>』<- こういう括弧は良くない 9.11 の前に出ていた本 国民国家 -> 帝国 規律訓練 -> 生権力 バイオパワー(馬鹿っぽい言葉だけど) 帝国とマルチチュードの対立が語られる マルチチュード multitude という概念 多様性という訳が本質 多様な集団の組織化 1990s アンチグローバリズム運動 フランスの農民がマクドナルドに突っ込んだり 今の私たちの社会は帝国的な意思決定をしている 資本主義の論理にのっとって国境を越えてグローバル化する経済の中で 自分たちだけでは意思決定できないから 国民国家単位で主権は成立しなくなっている ほとんどの国は主権がなくなっていく 自分の国の教科書も決められない 内政問題 外政問題 の境界がなくなっていく 様々な団体が Adhoc な議論で意思決定 それが帝国
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法 -> 主権 法律があって法に応じて Apply 秩序を保っている 犯罪に対する対処がルーチン 日常においては主権者はいらない 法律だけでOK 日常からは予測できない非常事態においては 恣意的に誰かが決定するしかない 主権者が決定 主権的権力が必要 帝国においてはすべてが非常事態 テロのような 「法」 国民国家多様性を1つにまとめる その過程でイデオロギーが必要 法、価値観、規範を強制する 教育して人々の心を変える まとまりをつくる 変なやつが表れたら内包 「主権」 ポストモダンにおいては放置 みんな勝手に生きろ 無秩序になってしまうので、管理 管理の原理がリスク 変なやつは排除 法とか価値観ではなくダイナミックなシステムにおいて権力が発動
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次回はポストモダンにおける人間の変化をちょっとやる 多重人格とか

最後の方の「主権」「帝国」といった言葉の意味があいまいでよくわかりませんでした。