呉智英「文化論」9/22

理科大の授業に潜る。今日は初回なのでとりあえず行ってみたけれど、さすがに毎週土曜日理科大まで出向くのはコストが大きいので、今後潜るかはわかりません。

試験はあるけれど
プリント、ノートなど
全部持ち込み可
レポートと同じようなもの

レポートにすると友達に書いてもらうやつがいるから試験にする

試験の内容は簡単

これまで難しいと面白いという意見があった
難しいという人は既成観念に囚われている人
既成観念に囚われなければ全然難しくない

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文化論 文化というのは大変意味が広い この授業では重点的にマンガの話をする はだしのゲンを中心にやる 小中学校の課題図書で読んでいるから簡単だと思って授業に出ないと、 試験は全然出来ません 平和への決意を…などと書くとそんなものは小学生の作文
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今日は文化についてやる Culture この言葉は非常に多義的に使われる 秋は連休が多くて、文化の日がある この日に所謂文化人が講演したりテレヴィでレクチャーしたりする 11日3日はなぜ文化の日なのか この日に文化が出来たわけではないのに何故なのか 元々は明治節 本来は明治天皇の誕生日 今の天皇今上天皇 11月23日を今上天皇誕生日と言わない かつては単なる天長節 明治天皇が無くなったあと明治記念日になって文化の日になった べつに明治天皇が文化を作ったわけではない 日本が敗戦したときに 米軍の占領によって それまでの日本の伝統的なものを悪いものだとしてやめようということで チャンバラが禁止されたりした その時に天皇を崇めるような明治節なんてなくしてしまおうとしたが 便宜的に文化の日にした 4月29日はこの間までみどりの日といったが 元々みどりとは何の関係もなかった 昭和天皇は生物学者だったが水中生物 文化の日もはっきり明治の日とすべき 右翼の人たちもそう言っている 私がそう言うと皇室を敬う気持ちが高いと思われるが、 むしろ皇室は国民生活に入ってこない方がいいと思っている では何故変えよと言っているのかというと 明治記念日に変えた上で天皇制を廃止しなければならない 今は天皇は文化だと言っているようなもの 天皇誕生日文化の日だと認めていることは天皇制を認めているようなもの 論理的一貫性が無い 諸君らの常識を覆していくのがこの講義
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Cultureは元々農業 agriculture agri = field Cultureだけだと耕作するという意味 Cultureは農業だと多くの人は知っている 同時に文化である それゆえにしばしば誤解がある 英語の経済誌を読んだときに出てくる monoculture これは単一文化ではなく単作農業 主に後進国、旧植民地だった国で行われている 植民地にされている方は良いことがない 迷惑な話 農業に被害が大きい 気候や物価変動に弱い なんでCultureは農業なのか 農業も文化も人間しかやらない アリの中には農業をするものもいると言う人もいるが 厳密にはあれは農業とは言わない アリはそれしか出来ないから 本能にプログラムされたことしか出来ない 人間の場合は様々なことが出来る 自然を加工することが出来る 文化も自然を加工する もう一つの考え方 農業は作物を実らせる 文化も人の心を実り豊かにする 心を耕す 文化には2つの考え方 1つはドイツ系 - 心を実り豊かにする だからCultureは文化  心を豊かにするものが文化  価値判断がある もう1つはアメリカ系 - 文化人類学(人類学の一種)  人類学には主に文化人類学と形質人類学がある  肌の色や目の色を考えるのが形質人類学  文化と言う側面から人間を考えるのが文化人類学  人間の生活形態の総称総体  価値判断がない 文化の日に講演する 所謂文化人は有名人 有名じゃない文化人はあまりいない 小説家とか画家とか しかし軍人は講演をしない 経済人も講演しない 政治家もあまり講演しない 文化の日に出てくる文化人は ドイツ人文系の文化の考え方に関係している アメリカ系の考え方では価値判断がないがないから 政治も戦争も文化 文化人類学の中に政治人類学、経済人類学が成り立っている 誰が出てきて講演しても良い 客観主義 どちらが良い悪いではなく2つの考え方があるということ この2つがあるということを覚えておいて欲しい 将来ものを考えるときに基本的に覚えていないといけない
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マンガを中心に講義を進めていくけれど 昔から「マンガは文化か」という問いがある 今は昔よりも遥かに市民権を得ている 外務大臣麻生太郎 マンガが好きで秋葉原で若者にアピールしている マンガは文化という問いは勿論ドイツ人文系の考え方 文化人類学の考え方ではもちろんマンガは文化 その辺の議論が如何に大事であるかということについて ちょっと話をする
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朝日新聞の社説 「貧しい漫画が多すぎる」 1990.9.4 東京都の文化生活局が市販されている週刊誌、月刊誌の セックス描写を調べたことについての話 漫画の50%に性的描写 みんなの税金でこんなことを調べている 原則的には現在において良識的なことが書かれている  外国からやってきた人は漫画の露骨な性的描写に驚く  性の商品化  男性の好色に都合よく描かれている この社説は自分たちの良識に合致しているということを考えて欲しい
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『好色一代男』 子供の頃から大変に女に興味があり、 最後まで好色の限りを尽くした 財産を処分して船を作って日本を出て行く 伝説の女護ヶ島に行く 船の名前が好色丸(よしいろまる) 最後の最後まで人を食った小説 生涯に何千人の女ともやるが何百人の男ともやっている 女性蔑視という点からするとこれは救いどころ 第2話 主人公世ノ介が現在の小学校2年くらいの年齢 5月5日端午の節句、現在では6月のはじめ 現在なら OLが仕事から帰ってきてワンルームマンションで カーテンを閉めるも間に合わないような感じで 服をてきとうに脱いでシャワーを浴びるみたいな状況 「行水をまさか見ている人はいないだろう」 世ノ介はあずまやの棟から望遠鏡で見る 「夜お前の部屋に入れろ、入れなければお前のOL仲間にこのことを言いふらす」 その後結局世ノ介はこの女の部屋に行く これは強姦 糠袋も出てくるがこれは自慰の具 好色一代男は女の人格を全く考えていない 唯一救いがあるとすれば男の人格も考えていない 朝日新聞は好色一代男は批判せず、漫画は批判する 答えは一つ 漫画はみんなが読んでいるから 好色一代男は天下の理科大の学生でも読めない つまり知的でないと読めない 知的水準が高ければ好色に浸ってもいいのか 学歴の低い人は駄目だというのはおかしい 日本は検定教科書 どこが教科書を作ろうと構わない 間違いがあったりするといけないので検定をする 検定には是非の議論がある しかし日本は教科書でなければ法律に引っかからない限りどんな本を出しても良い かつて家永三郎の検定不合格の教科書が出た これは革新の立場から書かれた本 「町人文芸」の項 時代の状況が変わってきたので 民衆でも文芸を楽しめるようになった 井原西鶴は新しい文芸の旗頭 民衆の心を巧みに反映し、それまでの支配的な文学とは違い力強い民衆の文学 つまり『好色一代男』をほめている 革新派の人権を護る立場の人がこんなことを書いている 家永はリベラルな人 なんで井原西鶴を褒めているのか 別の論理があるのか 漫画と古典との間に明らかに亀裂がある
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日本ではポルノっぽい漫画が氾濫している 性表現が解禁されているドイツやフランスでもこんなことはない、 と朝日新聞は書いているが… フランスにはマンガ専門店がある 雨よけのテントにこのようなことが書いてある 「BANDES DESSINEES」 線画を束ねる 一コマではなく繋がっている 略してBD 一般書店でもマンガ専門店でもマンガは売られている b.d. erotiquesコーナーがある ずばりエロマンガ 当然ながら未成年は入ってはいけない しかしすぐ横に『タンタン』が並べられている 少年のかわいい冒険譚 これでは子供は見てしまう 少なくとも表紙は見てしまう 中まで見てしまう子供もいるかもしれない こういう事実を無視した 朝日新聞の外国人が顔をしかめるという文章はおかしい もっとも、然るべきゾーニングはしなければいけない