東浩紀「ポストモダンと情報社会」2007年度第2回(10/12)

# 6分遅れて登場

どうもこんにちは
出席点と取らないといったのにこんなにいてくれて…
良いのか悪いのか
もっと来なくてもいいかも

出席点はないと言いつつなんとなく出席票は回す
回せと言われているので

スクリーンを写すと黒板使えない
こういう教室はやめたほうがいい

秋だというのに涼しくならない
外は涼しいかもしれないがここは暑い

雑談とかあまりしたくないので早く始めたい

プロジェクターはちゃんと映るのか…
内線で聞くしかないのかなあ
この説明書読むのか
システムの準備をしなければならない
とても間抜けな世界がここに存在している

とにかくこの授業はポストモダンと情報社会なので
今日から何回は「ポストモダンとは」、と言う話をする
去年とあまり変わらない

で、黒板が使えない、と
切れそうだ
僕は簡単に切れるからな…

プロジェクター映った
良かった良かった
しかし黒板がないのが非常に痛い

さて授業をやっていくわけだけど
「情報自由論」「サイバースペース〜」の他に
「ギートステイト」
これも参考になる
連載休止中
これの社会観は僕の考え方を反映している

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# パワポを眺めつつ このパワポは一年前に作っていたものなので よくわからない 去年は結構まじめにやってたんですね びっくり フランス現代思想 1950-70年代にかけてパリで作られたもの ここに至る流れがいくつかある ・マルクス主義 ・精神分析構造主義 これはどっちかというと言語学 こうしてフランス現代思想が作られた 19世紀の後半に生まれたマルクス主義は社会についての理論 20世紀の前半ではインテリに人気があった 社会を全体的に捉える理論だと思われていた 精神分析は心の理論 20世紀のはじめに生まれた フロイト「夢判断」1895年 1895年はルミエール兄弟が最初に映画を作った年で重要な年 レコード、無線通信などの複製芸術・テレコミュニケーションもそのころに生まれた 構造主義は本を読めばおk ソシュールという人がいて 1895年よりちょっと前に作ったのが構造主義言語学 エッセンスだけ言うと、僕が犬というと犬を指す 犬と言う言葉が犬を指すのではなく 犬いうのは「いね」「あぬ」など、犬に似ているけれど意味がない言葉に囲まれていて それらとの差異によって犬という言葉が機能している 差異の構造を形式的に整理していくと それまで見えなかった構造が見えると主張している 文化人類学をやったレヴィ=ストロース まだ生きてるかもしれない 何をやったのかと言うと、原典にあたってもらうのが一番面白い 野蛮人、未開人、今はどういうのが正しいのかわからないけれど アマゾンとかニューギニアとかに住んでいる部族 婚姻構造が面白い Aの部族はAの部族の女と結婚できないがBの部族の女と結婚できる Bの部族は…と、 女がぐるぐる回転している すごく複雑な規則になる 数学的に整理すると、女性の交換によって社会が作られている 群論とかによって整理できる あるやり方で形式化するとそこに数学的な性質が読み解ける こうした考えが一斉を風靡した これらがごちゃごちゃごちゃっとなって フランス現代思想になった もう少し詳しく言うと、 そもそも哲学って というと結構でかい話だけれど もし皆さんが哲学とか思想を全く知らないのならば 20世紀において大きく分かれている ・大陸哲学 ・分析(英米)哲学 「哲学」という本を手に取っても全く違う哲学 ついこの間まで一緒だったといってもいいのだけど 大きな違いは、後者は論理学に親和性が高い 無意味な言説「俺はどうして生きているんだろう」 生きているの定義は何かということに依存してしまう どうしてという言葉の定義に依存してしまう 問いかけに明確さがないから意味がない 何かの問い、何かの考えを明確にしていく中で はっきりとした心理が得られるのではないか 明晰さを突き詰めていくと実は明晰さがないことがわかったり 明晰さがないのにコミュニケーションがとれるのは云々 クワインとかディヴィットソンを読むと面白い 自分の仕事にはあまり使わないけれど 東工大は理工系の学校なのでこちらの方が親和性が高いかもしれない 認知心理学人工知能を追っていくとこの闇の中に入っていくかもしれない しかし今回話すフランス現代思想とは違う 前者の哲学は明晰じゃない方に行きがち たとえば文学、詩に近くなる 「俺はどうして生きているんだろう」は分析哲学では意味のない問いとされるが 大陸哲学ではこれをじっくり考えていく 君はどうしてそういう問いを発したのか 問いを発することで君はどうしたいのか この問いが発せられた社会構造の問題、レトリカルな問題にいきがち ある問題に対してまったく別の展開がなされる 西洋哲学、現代の哲学の中で全く違う目的、ボキャブラリーの中、 20世紀発達してきた 所謂ポストモダニズムという思想は もっと遠くから見れば、大陸哲学の中のひとつ 大陸哲学の末裔に構造主義とかいろいろ入ってきて かなりハイブリッドになった哲学 英米系の哲学とは非常に親和性が低い 特に日本においてはポストモダニズムが大嫌いで、 あんなのは曖昧でつまらないはったりだという議論に出会うはず 理工系の皆さんはそう思うだろうし、僕もそう思う これらは欠点で直すべきなのか?というとそうでもない 英米哲学は言語を明晰にし、意味を明晰にし、結論を出す これが思考の明晰さ しかし思考の明晰さそのもののイメージが違う 例えばハイデガーという人がいる 1930年代に活躍した 話がそれるけれど授業時間は無限にあるのでいいでしょう This is a desk thisとdeskは本当にイコールなのか thisがデスクだったらTrue そうでなければFalse 真偽値が違う しかしハイデガーはisが大事だといった thisとかdeskなんてどうでもいい そんなのは机を作るやつに任せておけばいい isについて考えるとそこには深い深い闇がある 何かにアイデンティティを与えたりする thisとdeskのつながりを与える ハイデガーはこういうことを言い出した 大陸系は問題の根源に行きがち 問題の前で沈黙で佇んだりしがち 問題解決を求める英米哲学とは決定的に考え方が違う
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ポストモダニズムとポストモダニティ 用語を明確に区別しておく ポストモダンの概念をはっきりさせる いろんな意味で使われるけれど学問的には未定義 そもそもポストという言葉は次に来るという意味しかないので積極的な意味がない ダニエル・ベルの「脱工業化社会の到来」1973 20個以上のポスト何とかという言葉を挙げた 1970年代にポストがすごく流行っていた その中の1つとして出てきた言葉 誰かがどかんと定義して広まったのではない 今までとは違う社会の見方、思想を表すのに使われた 幅広く捉える言葉 定義上、僕たちはポストモダンの社会に生きている 「ポストモダニティ」は社会の状態を名指す言葉 対して「ポストモダニズム」はある特定の思想を意味する これが別名フランス現代思想 ポストモダニティは社会の変動を表す便利な言葉 オタクはポストモダニティが云々…と語れる でもポストモダニズムは違う ポストモダニズムの議論を使うとポストモダニティをうまく説明できるが ポストモダニティはポストモダニズムよりも広がりがある ポストモダニティはポストモダニズム以外の言葉でも説明ができる ポストモダニズムは音楽、美術、建築さまざまに展開された 建築のポストモダニズムは一時期すごく流行っていた ポストモダニズムは構築の拒否みたいなもの 小説だったら始めがわからないとかメタフィクションだとか しかし建築は構築をしないと立たないからややこしいことになる ポストモダニズム フランスからアメリカにどかーんと行ってそのうちの一派が日本に来た アメリカこそがポストモダニティの塊みたいなもの 新しい社会にどんどん変わっていった フランスのポストモダニズムとアメリカのポストモダニティが出会った アメリカでは別の展開がされて日本に飛び火 日本ではニューアカと呼ばれた しかし極めて実体がない あっという間に消費されて終わり
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何人かフランス現代思想の有名な人を挙げるけど 気になったらGoogleで検索すればいい ラカン アルチュセール ドゥルーズ フーコー デリダ ボードリヤール リオタール バルト これ3冊くらい読むとすごく現代思想に詳しくなれる ジャック・ラカンは大物 年もちょっと上 フロイト精神分析の理論を構造主義を使って精緻に発展させた 難解・疑似科学的・オカルト そのまま読んで理解できないし理解してもしょうがないと言われるが あるやり方で読めば面白い アルチュセールマルクス主義の読み直し マルクスの文章を構造主義的に読み直す 本を書くよりも運動家 教師としての役割を果たしていた 主著は特にないけれど重要 ドゥルーズ オーソドックスな哲学者 昔の哲学的な文章を現代風に読み直す フーコーは結構大事でこの授業でも何度も参照すると思う 権力論「言葉と物」「監獄の誕生」「性の歴史」「狂気の歴史」 哲学者でもあり歴史家でもある 文学の読解もやってた 近代社会がどうやって作られてきたかを議論してきた デリダ 僕の専門 ドゥルーズとは対象的 基本的には哲学者なので今回の授業にはあまり出てこない リオタール 「ポストモダンの条件」 思想用語の流布 大きな物語の崩壊がポストモダンを特徴付ける ボードリヤール 消費社会の理論化 「消費社会の神話と構造」 「象徴交換と死」 ちくま文庫か何かで読める 服を買う、ケータイを書く、デザインとか機能でちょっとずつ違う 年が変わったり、周りと違うからものを買う、周りとおなじだから買う、ブランド消費 こういうタイプの消費は昔は存在しなかった 存在しなかったから理論もなかった 例えばブランド品は何に金を払っているのか Tシャツ1個2万とか3万だったら ものではなくてブランドを買っている ものにくっついた記号を買っている 記号に人々はお金を投じるようになっている 今では当然に思われる今から50年くらい前には新しい見方だった 去年と同じネタをやるけれど「湾岸戦争はなかった」と言った 物の交換よりも記号の交換の方が現代人にとってリアル 現実世界よりも仮想世界の方がリアル すべてが記号の交換 挙句の果てに「湾岸戦争はなかった」 湾岸戦争は起こらないだろうという論文を書いてその後起こった その後に「湾岸戦争はなかった」と書いた 人間はこうでないといけないのか 歴史認識を超えている 読んでも良くわからない どうしてなかったのかな 普通にあるし… すごいなあ 起こるということの定義を変えている お茶目な感じの人 ロラン・バルト どっちかというと文芸評論家 若くして死んでいるし詩的なエッセイが多いから ポストモダンに興味がある人はあまり読まれないかも 社会学が強くなった現代では文学理論は遠くなった 80年代だとバルトが現代思想のけっこう中心のように思われていた 物語の構造分析 小説を要素に分解して構造的にばらばらにやって分析する こういった分野では面白い仕事を残している そういう感じの人たちがいてフランス現代思想を作った これらがアメリカに入っていく フランス(パリ)とアメリカは全く違う国 フランスでは大学の上にグランゼコール、スーパー大学のようなものがある エリート校で、その中のエコールノルマルでちまちまやっていた 当時のパリの知識人の誰もがもっているコンテキストを自明にして書かれているものが多く 今の僕たちにはわかりにくいことがある 当然アメリカでもそんなコンテキストはない アメリカで有名なポストモダニズムの学者を挙げる フレドリック・ジェイムソン もともとマルクス主義の文芸評論家 フランス現代思想をアメリカに紹介 フレドリック・ジェイムソン経由の紹介がスタンダード ポール・ド・マン 1970年代にイエール学派を作った デリダと親しかった 「脱構築」簡単に言えば取り合えずなんか崩しておこう 構築でもなく破壊ではなくちょっとずらす、内側から食い破る、シロアリ リフォームに近いのかな 「脱構築」をテクストを読むときのひとつの方法論にした 例えば漱石の三四郎 三四郎が主人公に見えるが実はこいつが主人公で そうすると三四郎の姿は違って見えて東京も見えて漱石セクシャリティが云々 などと古典を精細に読んで全く読み方をして作家・作品のイメージを変える そして私たちの無意識をあぶりだしていく 歴史の話とは違うけれど もし今フランス現代思想っぽい理論的な話に興味があるのなら スラヴォイ・ジジェクをお勧めする 入門本では何かすかすかなので 1つくらい読むならジジェク 名前からわかるようにスロベニアの人で パリでラカンの弟子に学ぶ ある時からアメリカに行って英語圏で活躍 今Theoryで最も影響力のある人 日本では浅田彰 今は忘れ去られているけど25年前には超有名 「構造と力」を読むといいかも ポストモダニズムが微妙に話題になっていた時代があった
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一般的にポストモダニズムは終わったと言われている 思想としてのポストモダニズムは冷戦崩壊くらいでちやほやされていた時代は終わった 90年代にはあまり話題にならなくなる 日本では「批評空間」も90年代後半になると失速 日本では95年がすごく大きな年 思想のイメージが変わった年 僕が24歳 もし5歳違っていたら違った人生を選択していたかもしれない 95年以降はわかりやすく日本の社会を説明するものが思想になった でもポストモダニズムが終わろうがポストモダニティは止まっていない 例えばポストモダンというのは大きな物語の崩壊が特徴だといわれている 大きな物語は社会全体をまとめあげる価値観 みんなとにかく金持ちになって高度経済成長 結婚して子供つくって家つくって定年後は子供・孫に囲まれて… というイメージが崩れてくる 今はちょっと好況なのでちゃんと就職するのが言いといわれているけれど あと数年したら不況になるからどんどん変わる 僕は大学院に行くと決めていたので就職活動していないけど 93年は超氷河期といわれていた 実際はもっと続くのだけれど 91年がバブル崩壊 直前までの東大生の就職状態はすごかった 3ヶ月ぶっ通しで各会社が接待をし続け一度も飯代を出していない 内々定したやつを銀行が囲うのでハワイに行ったとか でも僕のときは駄目 接待どころじゃない こちらから頭を下げないといけない 僕から2,3年すると就職という概念が崩壊 僕が入ったのは90年 家庭教師の時給が高かった 医学部だと相場が時給8000円 すげーな 東大恐るべし 僕でも4000円とか5000円が相場だったらしいけれど 河合塾のチュータやってて安かった そのうちにどんどん相場が安くなっていったけれど 僕は傲慢で時給3000円じゃやってらんねーよと思っていた 4000円とか5000円貰ってたやつが今官僚とかになっている 95年でいろいろ変わった あれから12年も経った 何があったかというと 10月からエヴァンゲリオン放映 とかではなく 阪神大震災オウム真理教 オウム真理教は典型的な劇場型犯罪 連日テレビでオウム真理教の話がされた ネットもあまり使われてなくて基本的にマスコミっていうのは強かった 最後の巨大な劇場型犯罪オウム真理教みたいなのが起きたらまったく違った形になる 攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックス 2chとグリコ森永事件みたいな劇場型犯罪をうまく描いた 大澤真幸「虚構の時代の果てに」 オウムが戦後の思想史の中でどのように位置づけられるかみたいな話で面白い 僕の10くらい上がオウムの中心的な担い手 すごくアニメっぽい漫画っぽい、 テロを実行するにはやばいくらいにちゃちい組織 コスモクリーナーという空気浄化装置 核兵器で攻撃されても大丈夫、みたいにいろいろやばかった 麻原が都知事選に出てたのが僕が高校3年 代ゼミの前とかで見た 誰もがマジだと思わない 例えばドクター中松 発明で世界を変えるとか言ってるけどみんな変えないよねと思っている ある日突然それがマジだったことがわかったらみんなびっくり そんな感じ 虚構と現実が繋がるみたいな話、感覚に近かった 社会の中でそれらがゾーニングされていたはずが壊れてしまった ヴァーチャルな冗談な話とシリアスな現実が直結 これとこれが結びつかないだろうと思っていたら、 ぽっと結びついてしまうということがはっきり表れた 95年以降の精神を端的に表している その後2chなんかが出てきたりして 中沢新一 面白い人 オウムを褒めていたりしてた ポストモダニズムとオウムの関係も語ると長くなる オタクとの関係も長くなる そういうものをなんとなくぼんやり支持していたりとか 授業とかでおいおいやっていくけれど 日本ではポストモダニズムサブカルチャーと結びついていた 確固とした現実があって、ちょこちょこといじって戯れていた
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ポストモダニティの特徴 ■全体性の消滅 社会、日本全体、どこでもいいけど国民国家の全体性が消えていく 維持できなくなっていく ■仮想社会化 虚構と現実の境界が融解する どこまで現実なのか ネット上のコミュニケーションと現実 言葉の暴力は実は非常に危険 身体と身体が接触するのが暴力なのに暴力の定義が曖昧になる 暴力という言葉を拡大することによって暴力の現実を曖昧にしている 95年以降、体罰はいけないという風潮 暴力がセンシティブに捉えられるようになった リスクが高まった世界 # 僕はロリコン教師にばんばん殴られていた # 男は殴る、女は見る # 女子は教室内で着替えているのに何故こいつは教室にいるのか ケータイで死ね死ね死ねと送る そして実際に死んでしまう これは暴力 現実に影響を与えている でも禁止するのは難しい ぼこぼこ殴るのを阻止するのは簡単 ケータイだとどこまで阻止できるのか こういう境界性のなさ 消費社会 人は記号を買っているけれどものを買っている 儲けるには社会を良くするために良いものを作る必要がない 信用・言葉だけを元手に金を集める 金や言葉を動かしている方が稼げる もともと資本主義はそういうところがあったがIT化、グローバグ化によって強まった でもマンションを買えば現実の富 記号の操作しかしていないのに こういうタイプの富の生産はアリストテレスの政治学に書かれている 金が金を生み出すのはやばいから気をつけろ ITとかによってこれが非常に強化された そういう世界 一見記号のやり取り、言葉のやり取りをしているのに、現実の富、暴力に結びつく ■権力の変容 フーコーの話とかする 詳しくは次回するけれど 近代社会においては規律訓練 ポストモダニティの世界では社会システムそのものを変えることによって 価値観を押し付けないけれど動物のように人を管理する傾向がある