以前次のような日記を書きました。2006年10月1日のことです。

小、中学校のとある知り合い(?)には、自分はガリ勉小僧以外の姿は想像されていないらしい。この人は小六病みたいな感じの人でしたが、世の中の事がよくわかっていない当時の自分にとっては、何だかよくわからないけど大人びて見えたものです。大人びて見える、というのはすごく良い言い方をした場合で、実際は「ババア」とか言っていたような気もしますが、それはさておき、重要な事は、現在の自分はこの人を「小六病」などとラベリングできるほどに世の中を認識でき、つまり成長したということです。それなのに、相手からの自分の認識は「ガリ勉小僧」で止まったままで、何だか悔しい。これはいつか論破しなければなりません。というかそもそも、自分は「ガリ勉小僧」だったのでしょうか。授業中に漫画を描いているような人間が何故「ガリ勉小僧」だと認識されてしまうのか不思議でなりません。

「ガリ勉小僧」とか言われたからには復讐をしなければならない。この知り合いへの復讐を夢見て、それを生きていく活力にしてこれまで過ごしてきましたが、遂に復讐できる機会が訪れました! Sさんが、近所のジョナサンでこの知り合いと一緒にいるとメールをくれたのです。当然、即ジョナサンに向かう。

「お久しぶりです」「その節はすみませんでした」…というわけでいきなり謝罪されてしまったので復讐する動機が失われかけてしまいました。この2年半の日々は何だったのか…! しかし苦難の日々を想起し戦う意思を取り戻す。復讐は必要。復讐は人生。

とはいえこのジョナサンの場において果たしてどのような復讐が可能なのでしょうか。困ったことに、ジョナサンで行われる復讐は、ジョナサンの食糧程度に安価なものにしかならないのです。「どんな仕事してんの?」「接客」「接客かぁ」…さてここで年収を聞けば復讐ができるのでしょうか。しかし自分の年収は百万円しかないので勝てません。これはだめ。「大学どこ?」「M学院大」「ああ、黄色い大学ね」…うーん。なかなか良い復讐ができません。大体偏差値で勝ってもガリ勉小僧であるという幻想がより強固なものになってしまいます。

結局のところ、復讐、復讐とか頭のおかしな事を言い続けることで、自分が如何に小、中学校の時から変わっていないかを示すことしかできませんでした。でもそれは良いことに思います。昔は小六病のようであった復讐対象の現状の何というぬるさ。これでいいのか。自分はぬるい人生に落ち着いたりしてなくて良かったかなと! 漫画とか未だに描いてるし。という自己満足。